ロードレース時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 09:33 UTC 版)
カートレースで成功を収めつつあったにもかかわらず2輪への転向を決意したリンネは、1987年にはロードレース世界選手権125ccクラスにデビューを果たした。 1988年、フランスGPの決勝レースを14位でフィニッシュしたリンネは2ポイントを獲得した。これがロードレース世界選手権において女性ライダーが初めて選手権ポイントを獲得した瞬間だった。 ホッケンハイムで行われた1989年の西ドイツGPでは予選2位を獲得し、決勝でも一時はトップを走る活躍を見せて最終的に7位入賞した。この年はアッセンのダッチTTでも8位入賞し、合計23ポイントでシーズンランキング17位となった。結局この年がリンネのベストシーズンであり、ホッケンハイムでの7位が彼女のベストリザルトとなった。 1990年、ポール・リカールで大きな事故に会ったリンネは、怪我の療養中にバーニー・エクレストンから手紙を受け取った。当時、F1だけでなく2輪の世界グランプリをも牛耳っており、各ライダーのシリーズへの参加資格についての決定権も持っていたエクレストンからの手紙には、リンネが来季のシリーズへの参加資格を失ったことが書かれていた。 こうして世界選手権におけるキャリアを終わらせたリンネは、この時の手紙が彼女の人生の中で最も深い失望を味わわせたと後に語っている。
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