ロシア正教会の中心的大修道院として
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「至聖三者聖セルギイ大修道院」の記事における「ロシア正教会の中心的大修道院として」の解説
1764年女帝エカテリーナ2世により、ロシア国内の修道院が所有する領地と農奴は、国家の所有となった。この改革により、修道院が保持していた政治的、経済的権力基盤は堀崩され、国家による一元支配が貫徹されることとなった。もっとも、19世紀を通して、至聖三者セルギイ大修道院(トローイツェ・セールギエフ大修道院)は、ロシア正教の修道院中、最も豊かな地位を保った。エカテリーナ2世の聴悔司祭プラトンは、大修道院院長であったということで特別な配慮がなされたことも影響した。 さらに大修道院は、ロシア正教会の一大宗教センターとして発展を遂げた。1742年に設立された神学校は、1814年に教会アカデミー(ecclesiastical academy)に改組された。大修道院は写本と正教関係の書籍の一大コレクションを誇った。大修道院が所有する中世の聖具室sacristyは、たくさんの訪問客が訪れた。セルギエフ・ポサドの市内には、大修道院の他にも、いくつか小さな修道院が建立され、その中には哲学者のコンスタンチン・レオンチェフ(Konstantin Leontiev)やヴァシリー・ロザノフ(Vasily Rozanov)などが埋葬されている。
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