ロサンゼルス・レイカーズへの復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 07:37 UTC 版)
「デレック・フィッシャー」の記事における「ロサンゼルス・レイカーズへの復帰」の解説
王朝チームが解体されて以降のレイカーズはコービー・ブライアントのワンマンチームとなってしまい、プレーオフでは苦戦を強いられていた。王朝時代の一員とは言え、中堅選手に過ぎないフィッシャーのレイカーズ復帰がチームの戦力を劇的に向上させるとは思われなかったが、コービーの良きパートナーとして、3ポイントは40%以上の高い成功率だった。2007-08シーズンのレイカーズは開幕から好調な滑り出しを見せ、さらにシーズン中盤には優秀なビッグマン、パウ・ガソルの獲得でレイカーズの戦力は大幅に向上。一気に優勝候補へと返り咲き、プレーオフではファイナルまで勝ち進んだがセルティックスに敗れた。 翌2008-09シーズンもレイカーズの快進撃は止まらず、レギュラーシーズンは65勝をあげ、プレーオフも勝ち抜いて2年連続でファイナルに進出した。チームは快調ながら、フィッシャーはバックアップのジョーダン・ファーマーが故障に見舞われたこともあり、シーズンを通して疲労が見られ、また年齢での衰えから特にディフェンスで若い選手相手に苦労する場面が見られた。フィッシャーは王座奪回を目指すレイカーズにおいて弱点になりかねないとまで言われたが、ファイナル第4戦ではそのフィッシャーが試合終盤に3点ビハインドの状況で、残り4.6秒にネルソンの上から見事に3Pシュートを決め、ゲームをオーバータイムに持ち込み、チームを危機から救うと共に2004年の0.4秒ショットの再現を披露した。フィッシャーはオーバータイムでも残り31秒の重要な場面で3Pシュートを決めてチームを勝利に導き、その勝負強さを思う存分発揮した。レイカーズはオーランド・マジックを4勝1敗で破り優勝、フィッシャーは4つ目のチャンピオンリングを手に入れることになった。 2009-10シーズン、全82試合に先発出場し、平均7.5得点、2.1リバウンド、2.5アシスト、1.10スティールをあげた。NBAファイナルではボストン・セルティックスと対戦、第3戦では、第2戦でファイナル新記録となる3ポイントシュート8本を成功させたレイ・アレンを、シュート13本中0本成功、2得点に抑え、決勝点となるレイアップシュートも決めて勝利に貢献した。ファイナル第7戦でも64-64と同点3ポイントシュートを決めるなど4勝3敗での優勝に貢献、5個目のチャンピオンリングを手に入れた。 2010-11シーズン、全82試合に先発出場したが、平均6.8得点と成績を落とし批判も浴びた.。チームはプレーオフ2回戦でダラス・マーベリックスにスイープされて敗れた。 2011年NBAオーナー側によるロックアウトが行われた際にはNBA選手協会会長として交渉を続けた。2011-12シーズン、レギュラーシーズンのレイカーズとマブスの試合では試合終了直前にブザービーターを決め、レイカーズが勝利した。 2012年2月15日、ドラフト1巡目指名権と共にジョーダン・ヒルとのトレードでヒューストン・ロケッツに移籍した。本人の意向により、その後1試合もプレーせずに、3月19日にロケッツとの契約をバイアウトした。
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