ラ・リューシュ
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ラ・リューシュ(La Ruche、フランス語で「蜂の巣」の意)は、パリ15区にある集合アトリエ兼住宅である。1920年代に芸術家がコミューンを形成したモンパルナス地区の南側に位置し、エコール・ド・パリの画家・彫刻家が集まった場所として知られる。ラ・リューシュはアール・ヌーヴォー様式の3階建てロタンダ(円形建築物)で、当初は約140室を備え、中央の大広間では作品展示会「ラ・リューシュ展」が行われた。また、モデルを雇って画家たちがデッサンをする「アカデミー」と呼ばれる部屋や約300席の「リューシュ・デ・ザール」劇場もあった[1]。
- ^ a b c d e “Historique”. ラ・リューシュの歴史. 2018年8月7日閲覧。
- ^ “La Ruche de Montparnasse” (フランス語). France Inter. (2017年7月11日) 2018年8月7日閲覧。
- ^ “Chagall à Paris : la Ruche” (フランス語). www.grandpalais.fr. 2018年8月7日閲覧。
- ^ “【シャガール 三次元の世界】<池上先生の絵ほどき>シャガール ユダヤと三次元の巻 周囲の影響で彫刻へ” (日本語). 東京新聞 TOKYO Web. (2017年9月26日) 2018年8月7日閲覧。
- ^ “La Ruche, la cité des artistes désargentés” (フランス語). Paris ZigZag | Insolite & Secret. 2018年8月7日閲覧。
- ^ “Artistes” (フランス語). laruche-artistes.fr. 現在居住するアーティスト. 2018年8月7日閲覧。
- ^ “Actualités” (フランス語). laruche-artistes.fr. 展覧会の案内. 2018年8月7日閲覧。
- ^ “展覧会「愛と青春のアトリエ 洗濯船と蜂の巣」ピカソやシャガールが作品を生み出した長屋”. 2018年9月5日閲覧。
- 1 ラ・リューシュとは
- 2 ラ・リューシュの概要
- 3 日本における紹介
ラ・リューシュ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 20:45 UTC 版)
一方、モンパルナスの南西に位置する15区のサン=ランベール地区(フランス語版)では、1900年のパリ万国博覧会で建てられたワイン館をアカデミーの彫刻家アルフレッド・ブーシェ(フランス語版)が買い取ってアトリエを増設し、これをソ連や中東欧での弾圧を逃れてきた若いユダヤ人を中心とする貧しい外国人芸術家に提供した。ラ・リューシュ(蜂の巣)と呼ばれたこのアトリエ兼住宅には、アレクサンダー・アーキペンコ、マルク・シャガール、モイズ・キスリング、シャイム・スーティン、オシップ・ザッキンらが住んでいたが、まもなくモンマルトルの「洗濯船」に相当する芸術活動の拠点となり、入居者以外にも藤田嗣治、モディリアーニ、ジュール・パスキン、マリー・ローランサンらいわゆる「エコール・ド・パリ」の画家らが集まるようになった。 1911年にラ・ロトンドにバーが開店したとき、アンドレ・サルモンはモンマルトルから越して来たピカソ、マックス・ジャコブ、モディリアーニ、ジョルジュ・ブラックらの画家を連れてバーを訪れ、ここでラ・リューシュの画家らと合流し、さらにギヨーム・アポリネール、ブレーズ・サンドラールら主にキュビスムなどの芸術活動を支持する詩人・作家へと常連の輪が広がっていった。毎日のように通っていたのはモディリアーニとスーティンであった。まだ貧しかった彼らは代金を支払う代わりに描いた絵を預けた。現在、店内には彼らの絵の複製が多数飾られている。
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ラリューシュ
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搭載艇の製造・開発担当氏族。兵器の一部も担当。語源は「翼(たすき)」
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