ライヒャ
チェコ出身の作曲家。音楽作品よりも著作でよく知られている。おじからヴァイオリンやフルート、ピアノを学んだ後、ベートーヴェンとネーフェに作曲を学んだ。ボン大学に入学し、同地でハイドンと出会っている。その後は、ハンブルクでピアノや和声、作曲の指導にあたる傍ら、作曲を続けた。19世紀にパリに移り、後年、帰化している。パリ音楽院では対位法とフーガの教授を務め、ベルリオーズやリスト、フランクを育てた。
ライヒャは19世紀の音楽理論の著述家として功績がある。『旋律法(Traite de melodie)』(1814)、『作曲法講義(Cours de composition musicale)』(1816-1818)、『高等作曲法(Traite de haute composition musicale)』(1824-1826)の3つの著作は、チェルニーが独訳版を出版している。
ライヒャ
アントニーン・レイハ
(ライヒャ から転送)
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アントニーン・レイハ(Antonín Rejcha チェコ語発音, 1770年2月26日 - 1836年5月28日)は、チェコ出身の作曲家、音楽理論家。フランス及びドイツでの活動が長かったことから、フランス名アントワーヌ・ライシャ(またはレイシャ、レシャ、Antoine Reicha)、ドイツ名アントン・ライヒャ(Anton Reicha)でも知られる。
- 1 アントニーン・レイハとは
- 2 アントニーン・レイハの概要
- 3 外部リンク
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