ヤング101とは? わかりやすく解説

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ステージ101

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 22:31 UTC 版)

ステージ101』(ステージいちまるいち)は、1970年1月10日から1974年3月31日までNHK総合テレビジョンで放送された音楽番組である。


注釈

  1. ^ 1965年運用開始。広さは350坪。2018年の時点でも国内最大級の広さであった。
  2. ^ 番組開始から1973年7月末に渋谷にある現・放送センターへ完全移転するまでは、NHKの本部は千代田区内幸町にあった東京放送会館が機能を持っていたが、現・放送センターもCT-101スタジオを含め、1965年から本格的に運用が開始されていたので収録も内幸町ではなく渋谷で行われていた。
  3. ^ 2013年にNHK総合テレビジョンで放映された『第45回思い出のメロディー』では、出演者全員によるフィナーレで「涙をこえて」が取り上げられた。
  4. ^ MRAの日本支部の音楽ディレクターだったロビー和田が編成した。1966年11月27日には、500人ものメンバーを擁して日本武道館でコンサートを行なった。
  5. ^ 道徳再武装運動(MRA)の日本支部が中心となり、1965年頃より開始された国際的な青年グループによる合唱活動がやがてプロ化して発足した10人組のグループサウンズ・ユニット。
  6. ^ ヤング101が結成された1969年6月の時点で既にレコード・デビューやレコーディングを経験していたメンバーは、石岡ひろし、一城みゆ希(南田聖子)、黒沢裕一(ザ・パイオニアーズ)、小林啓子、塩見大治郎(ジローズ)、高橋キヨシ、牧ミユキ(木下節子)、ザ・バーズ、ザ・バロン(ジュリーとバロン)。番組開始までにレコード・デビューしたのは、串田アキラとシング・アウト。
  7. ^ ニューヨーク生まれ。カーネギー・ホール・バレエアーツに入団。ジュリアード音楽院でモダンダンスと振付を学ぶ。ブロードウェイ・ミュージカル『フラワー・ドラム・ソング』、ストック・カンパニー『王様と私』、『南太平洋』ダンス『MODERN DANCE CONCERT』など多数に出演し、米国で活躍した数少ない日本人ダンサーの先駆け。『夢であいましょう』の「上を向いて歩こう」が'Sukiyaki'としてアメリカで発表された1965年頃に、現地を訪れた作者の中村と永六輔と知り合い、その後末森がアメリカに留学した時に永の紹介で彼の世話をしたという。一時帰国した際に永からTBS『パック・イン・ミュージック』のパーソナルに誘われて1969年4月から永と共に出演し始めた。丁度その頃、末盛に招かれて、ヤング101のダンス指導と振り付けを担当することになった。
  8. ^ 末盛や中村とは『夢であいましょう』の前身番組である『午後のおしゃべり』(1959年)からの付き合いであった。
  9. ^ 午後のおしゃべり』『夢であいましょう』の司会を務めた。
  10. ^ 上を向いて歩こう」(坂本九)、「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)、「帰ろかな」(北島三郎)などが挙げられる。
  11. ^ 『夢であいましょう』で中村と組んでヒット曲を作った永六輔は当時海外出張中であったので、かぜが作詞を担当した。
  12. ^ 1969年7月25日のグランプリ受賞の実況がアルバム『The World Music Festival』(Yamaha YS-1001)とCD『GOLDEN☆BEST / ステージ101 ヤング青春の日々』(Sony Music House MHCL240-1)に収録された。
  13. ^ 同年11月5日、日本ビクターRCAレーベル)から、シングアウトのデビュー・シングルとして発表され、21万枚を売り上げるヒットになった。
  14. ^ 第一期生とも呼ばれる番組開始時のメンバーは、井口典子、石岡ひろし、泉朱子、一城みゆ希、江崎英子、温碧蓮、上市光男、小林啓子、串田アキラ、黒沢裕一、塩見大治郎、高野美千代、高橋キヨシ、津島隆文、長沢澄子、牧ミユキ、シング・アウト(池田美和、江崎和子、ビル・クラッチフィールド、リディア、惣領泰典、中岡淑子、原田時芳、樋口康雄、宮口森也、向山照愛)、ザ・チャープス(竹内まり子、竹内ゆり子、竹内えり子)、ザ・バーズ(豊田順子、豊田礼子)、ザ・バロン(河内広明、清須邦義、宗台春男、若子内悦郎)。
  15. ^ 茶谷正純、チャチャ遠藤らが在籍していた。
  16. ^ 日本テレビ系列で放映された『謎の円盤UFO』の主題歌を歌った若子内悦郎(1970年)、TBS系列で放映された『アテンションプリーズ』の主題歌と副主題歌を歌ったザ・バーズ(1970年)など、民間放送局での活動を行なったメンバーもいた。若子内はさらに、TBS系列で放映された『帰ってきたウルトラマン』の主題歌のカバー・レコード(1971年)を発表したほか、若木ヒロシ名義で日本テレビ系列で放映された『サンダーマスク』の主題歌(1972年)を歌った。
  17. ^ 番組開始後数か月でシング・アウトのメンバー数人が相前後して番組を卒業し新メンバーが加入した。また全国最年少のプロ・バトントワラーとして番組に出演した小原初美が加入。1970年10月にはNHK『のど自慢全国大会』ポピュラー部門の優勝者である田中星児、ジュリアン・チェング、レコードデビューしたばかりの水木誠が加入した。
  18. ^ 1971年2月に、「男女を問わず16歳から22歳までで、東京またはその近郊に在住しておりNHK放送センターまで一時間以内で来ることができる」希望者を対象した、同年3月11日から13日までの3日間の「新人オーディション」が告知された。
  19. ^ 1971年7月7日に、約3,000人の応募者の中から書類選考、歌や踊りのオーディション、3か月の見習い期間を経て選ばれた相沢忠彦、青木マスミ、伊藤三礼子、井上稔、加奈綾子、岸龍也、諏訪マリー、高木吾郎、中川圭子、西玲子、広美和子、藤島新、まきのりゆき、八代かずみ、山田美也子の15名が初出演。
  20. ^ 1971年7月7日に初出演した15名。
  21. ^ 1972年6月4日に工藤たけし、斎藤明彦、山崎功。10月1日に加藤芽久美、田頭信幸。
  22. ^ スクールメイツに所属していた。
  23. ^ 1973年初頭に太田裕美、木下とも子、谷山浩子。4月8日に東俊、伊藤悟、湖東美歌、佐藤幸平、庄司淳、中山エミ、浜岡万沙子、早川節子、速水雄二、三国真理子の11名。10月21日に石川裕子、大原マリ子、小野寺正夫、上村優、岸じゅんこ、北見奈々、キャンディー浅田、畑山佳代、藤村泰介、枡川譲治、やまべ星子の12名。石川、大原、畑山の3名は加入後にアップルズを結成した。
  24. ^ 番組オリジナルソング「のんびり」を作詞・作曲した。この曲は1971年モービル石油CMソングに採用されて「気楽に行こう」としてヒットした。
  25. ^ 最終回まで在籍。
  26. ^ 1973年10月21日卒業。
  27. ^ 1972年1月19日放送。開会直前の1972年札幌オリンピックに関連したテーマ。一部映像に乱れがある。
  28. ^ 2018年7月28日、NHKアーカイブスが開催した『ステージ101』スペシャル上映会での舞台挨拶で本人が供述。
  29. ^ 本放送開始前の1974年1月3日に、フォーリーブス司会によるパイロット版『レッツゴーヤング』が放送されており、ヤング101も番組前半のショーコーナーに出演した。
  30. ^ 2010年4月に金曜18時枠へ移行、2011年4月よりBSプレミアム水曜20時枠で放送中。
  31. ^ 五十音順に、石岡ひろし、一城みゆ希、いづみ朱子(泉朱子)、小原初美、温碧蓮、岸龍也、塩見大治郎、高野美千代、田中星児ザ・バーズ豊田順子豊田礼子)、広松三和子(広美和子)、藤島新まきのりゆき、牧ミユキ、山田美也子若子内悦郎
  32. ^ 五十音順に、井口典子、石岡ひろし、一城みゆ希、いづみ朱子(泉朱子)、小原初美、上村優、工藤たけし、黒沢裕一、小林啓子、塩見大治郎、高木吾郎、高野美千代、ザ・チャープス竹内まり子竹内ゆり子竹内えり子)、田中星児ザ・バーズ豊田順子豊田礼子)、広松三和子(広美和子)、藤島新まきのりゆき、牧ミユキ、向山照愛山崎イサオ(山崎功)、山田美也子若子内悦郎
  33. ^ 当日の「怪獣のバラード」は『GOLDEN☆BEST / ステージ101 ヤング青春の日々』(Sony Music House MHCL240-1)に「怪獣のバラード 2002」として収録された。
  34. ^ 五十音順に、石岡ひろし、いづみ朱子(泉朱子)、小原初美、黒沢裕一、塩見大治郎、諏訪マリー、ザ・チャープス竹内まり子竹内ゆり子竹内えり子)、田中星児、広松三和子(広美和子)、藤島新まきのりゆき、牧ミユキ、山崎イサオ(山崎功)、山田美也子
  35. ^ 五十音順に、井口典子、一城みゆ希、いづみ朱子(泉朱子)、工藤たけし、塩見大治郎、庄司淳、高木吾郎、竹内まり子竹内ゆり子豊田順子豊田礼子、中山エミ、藤島新まきのりゆき桝川譲治
  36. ^ 外国人名は苗字を片仮名表記したものを用いた。例えば、ビル・クラッチフィールドは『ク』。リディアは『リ』を用いた。
  37. ^ 現・八月真澄。シングル「いいさいいわよ」(キング、NCS-2174)。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  38. ^ 最終回には出演していないが、メンバー紹介には含まれた。
  39. ^ アルバム「井口典子ファースト」、シングル「愛は面影の中に」「想い出はワインの中に」。後にアメリカ在住。
  40. ^ いけだよしかず。トランペッター。ヤング101卒業後、惣領泰典が結成したブラウン・ライスに参加。
  41. ^ 1968年、TBSラジオ・MBSラジオ『雪印 チーズパーティーNo.1』のテーマソング「ふとした時に」(作詞・井上頌一/作曲・吉村英世)を小林啓子とデュエット。同年、日産自動車の企画で「愛のスカイライン」を竹本恵美子とデュエット。ヤング101卒業後、牧ミユキと「いずみたくシンガーズ」に加入。1973年、小松製作所の「コマツはみつめている」(ソノシートWS-192)を泉朱子とデュエット。1976年、フジテレビ系『ひらけ!ポンキッキ』の「オイラのてんきよほう」(キャノン、CX-107)。1986年、波岡信二名義で「J(ジェイ)」(徳間ジャパン、7JAS-59)。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  42. ^ 日劇ダンシング・チーム出身。アップルズではソプラノ担当。
  43. ^ ヤング101に在籍中に引き続いてキング・レコードから「つめたい夜明け」(BS-1624)、「ふたりの幸福」(BS-1672)、「他人のはじまり」(BS-1742)、「川岸の百合」(BS-1796)。いづみ朱子名義でCBSソニーから「机の上に忘れな草を」(SOLB-226)「風が歌った子守唄」(06SH 72)。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  44. ^ 声優。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。2023年10月24日死去。
  45. ^ 最終回のクレジットでは明彦となっていた。
  46. ^ 歌手の伊藤久男の息子でメンバーの伊藤三礼子の弟。
  47. ^ 歌手の伊藤久男の長女。宝塚音楽学校出身。現・豊岡三礼子。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  48. ^ 女優。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  49. ^ 2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  50. ^ 現・佐藤真理子
  51. ^ プロのバトントワラーとして番組出演の後、ヤング101に加入。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  52. ^ 夫は秋野太作。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  53. ^ ボーカリスト兼ギタリスト。ザ・バロンの解散後、若子内悦郎と、ワカとヒロを結成。現・芹澤廣明
  54. ^ こおろぎ'73結成。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  55. ^ 1971年11月25日「恋人の世界」(フィリップス、FS-1221)。1972年「へんしーん体操」(フィリップス、FS-1712)。
  56. ^ ボーカリスト兼ギタリスト。
  57. ^ 1971年3月「ナポレオンの右手のように」(DENON CD-108)。
  58. ^ アメリカ合衆国出身。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  59. ^ ザ・パイオニアーズのメンバーとして、1967年7月にアルバム『太陽の道ー若い歌声ー』(ALS-4242)発表。1973年7月にアルバム『黒沢裕一ファースト・アルバム』(MR-2234)発表。1976年に藤島新とピーカブーを結成。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  60. ^ アメリカ合衆国出身。
  61. ^ アメリカ橋」他をレコードリリース。現・美歌。ミュージカル女優としてデビューし「レ・ミゼラブル」他、数々の舞台に出演。同時にジャズヴォーカリストとしても活動。
  62. ^ 2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  63. ^ こばやしよしみ。男性。トランペッター。
  64. ^ 俳優の小林桂樹の甥。故人。
  65. ^ ジローズ。「広島球団応援歌」オリジナル歌手。他に「闘士ゴーディアン」主題歌やドラマ主題歌やCMなどで活躍。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  66. ^ ドラマー。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。2005年3月8日死去。
  67. ^ 2006年からパリ祭(NHK ホール)に出演。 CD「庄司 淳CHANSON CANZONE selection~最後の夢みる人~」を発売。
  68. ^ 1970年「バラは何を残したの」(United Artists、HIT-756)。1970年「デイトのあとで」(United Artists、HIT-769)。1983年「スターファミリー」(東芝、TS-4934)。1986年「ミスターブルーサマー」(東芝、TS-30031)。1987年から「アイ・ガット・マーマン」出演。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。BS2の放送の字幕による出演者紹介には含まれていないので、飛び入り参加であった可能性あり。
  69. ^ ギタリスト。
  70. ^ ヤング101加入前に「恋のパスポート」にてソロデビュー。
  71. ^ 2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  72. ^ 『ファンタスティックス 日本オリジナル・キャスト ミュージカル・プレイ』(ビクター JRS-7301)。「うんてんしまーす」(Columbia、EK-553)。「可美音頭」(可美村教育委員会監修、自主製作盤、Sound Record、TSC-1005)。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。2004年12月2日死去。
  73. ^ 1967年10月「静のブルース」(ビクター、SV-634)でデビュー。「サバの女王」(ビクター、FS-16)、「今夜はひとりじゃ眠れない」(ビクター、FS-24)、「思い出は泪と共に」(フィリップス、FS-1726)「オリーブの首飾り」(フィリップス、SNH-1004)、「夜の銀狐」(フィリップス、FX-2028)、「湖に消えた恋」(フィリップス、FS-2036)。アルバム『夜の銀狐』(フィリップス、FX-6041)。
  74. ^ 当時・竹内恵子。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  75. ^ 当時・竹内久子。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  76. ^ 当時・竹内孝予。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  77. ^ 2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  78. ^ 最終回には出演していないが、メンバー紹介には含まれた。
  79. ^ 中国出身。
  80. ^ こおろぎ'73結成。
  81. ^ 2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  82. ^ 2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  83. ^ ジャズ・ボーカルを学んで、講師のマーサ三宅の紹介で鈴木章治とリズムエースの専属ボーカリストとしてデビュー。ヤング101卒業後はコーラス・グループのファニーズ、CMなどのレコーディング、ダンス・パフォーマンス『KUMIの不思議な国』やロック・ミュージカル『ハムレット』などの公演、井上順や平山みきのステージでのバック・コーラスなどの活動を行なった。また都内のスタジオで中川久美と共にダンスの講師を務めた。
  84. ^ 2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  85. ^ ピアニスト。グラミー賞受賞作曲家Dana Leongの母。
  86. ^ 「雨あがりの鎮守さま」他をレコードリリース。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  87. ^ 2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  88. ^ 1978年にアルバム『100万人のディスコ/グリース』(ポリドール、MR7041)にコーラスで参加。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  89. ^ ベーシスト。クマ原田。セッション・ミュージシャンとして、長年に渡って、国内外の数多くの著名なミュージシャンと共演。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。2023年3月22日訃報。
  90. ^ 後期メンバー最年少。
  91. ^ キーボード奏者。
  92. ^ 番組終了後、HIROとして女性コーラス・トリオの「ベルベッツ」を結成して、シングル「長い熱い夜」を発表。「女王陛下のプティアンジェ」主題歌。沖縄アクターズスクール東京校ボイス・トレーナー。広松三和子。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  93. ^ 2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  94. ^ アルバム『僕からのメッセージ』。1975年に東宝映画『動脈列島』に出演。
  95. ^ 1970年7月に牧憲幸名義で「新宿界隈」(CW-1066)でデビュー。こおろぎ'73結成。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  96. ^ 1968年に木下節子の名義で東洋レーヨンエキゾチック水着キャンペーンCFに出演して、ビクターレコードから「エキゾチック・ラブ」(SV-707)でデビュー。同年10月「オータム・ノクターン」(SV-762)、1969年には「愛されたいの」(SV-805、ザ・バーズが1968年にテイチクから発表した2作目のシングルとは同名異曲)を発表。ヤング101卒業後、「いずみたくシンガーズ」のメンバーとして活動。「惣領泰則とジム・ロック・シンガーズ」、サンリオ映画「キタキツネ物語」サウンドトラックに参加。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  97. ^ 現・水木誠一。西野バレエ団出身。東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」出演。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  98. ^ 俳優の宮口精二の次男。
  99. ^ むきやまてるよし。ドラマー。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  100. ^ 1974年に絹かずみ名義でシングル「甘い罠」(テイチク、B-31)を発表。夫は芹澤廣明
  101. ^ 現・山崎イサオ。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  102. ^ 2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。
  103. ^ ボーカリスト兼ベーシスト。ザ・バロンの解散後、河内広明と、ワカとヒロを結成。2003年のヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に出演。2024年2月27日死去。
  104. ^ ヤング101のメンバーの名前を英語で表記して、名字のアルファベット順に示した。ここに記された綴りはメンバー本人や関係者の確認を得たものではないことに注意されたし。ジュリアン・チェング、ビル・クラッチフィールド、ケリー・コワ、リディアの綴りは寄稿者の推測である。日本人名の長音には一括して一括して特殊記号を用いずにhを母音字に続ける綴り方(「伊藤」は"Itoh")を採用した。
  105. ^ 小原初美は番組初期からのメンバーの一人であるが、最初はプロのバトントワラーとして出演しており、ヤング101のメンバーとして初出演した日付は不明である。ここでは一応1970年3月からのメンバーとしたが根拠はないので注意。
  106. ^ シング・アウトは番組開始後数か月のうちに、数人のメンバーが番組を卒業して新しいメンバーが加入した。ここでは小林善美、中岡淑子、宮口森也、ビル・クラッチフィールド、ケリー・コワ、リディアの在籍期間が不正確であるので注意。
  107. ^ ワンツーおじさんと呼ばれていた。
  108. ^ ジョーさん、おとうさんと呼ばれていた。
  109. ^ 番組が開始する前年の1969年にシング・アウトが出場した『第1回合歓ポピュラーフェスティバル'69』で作曲グランプリを受賞し、同年11月にシング・アウト名義のシングルとして発表されて既にヒットしていたので、番組が開始した時にはよく知られていた曲ではあったが、「ステージ101」オリジナルソングの第1曲目となった。NHKアーカイブスが保存する1970年1月24日放送回でシング・アウトがこの曲を披露した際には、画面に『「ステージ101」オリジナルソング』と記された。学校の卒業式などにも歌われる。
  110. ^ 後にモービル石油のCMソングに採用されて「気楽に行こう」としてヒットした。
  111. ^ 『合歓ポピュラーフェスティバル'71』で入賞。
  112. ^ 当楽曲は小中学校、高校の合唱コンクール等を中心に歌われ、老若男女に幅広く親しまれている。
  113. ^ ソロを歌ったメンバー以外の名前は記されておらず、どのメンバーがコーラスに参加したのかは不明である。
  114. ^ 樋口は1971年9月にヤング101を卒業した後、作・編曲家としての活動を開始。また前年にはボーカリストとして、愛称のピコ(Pico)名義でアルバム『ABC』を発表した。『ステージ101』の番組制作やヤング101のアルバム制作にも作・編曲家として関与し続けた。1973年7月1日に東芝レコードの第一スタジオに約100人の聴衆を集めて行なわれたスタジオ・ライブを収録したアルバム『ステージ101 スタジオ・ライヴ!』(1973年9月5日)の編曲・音楽監修を担当した。
  115. ^ 1979年に、町田義人名義のアルバム『明日なきさすらい』として再発売された。
  116. ^ 1976年5月5日に東芝から発売されたアルバム『ステージ101/ビユーティフル・サンデー』(ETP-72164)は1972年に東芝から発表された『ステージ101/愛の限界』(ETP-8222)の再発盤である。
  117. ^ アルバム『ステージ101』(EXPRESS/東芝音楽工業 ETP-8069)の復刻版。
  118. ^ アルバム『ステージ101 赤い屋根の家』(EXPRESS/東芝音楽工業 ETP-8172)の復刻版。
  119. ^ ステージ101/スタジオ・ライヴ!(EXPRESS/東芝音楽工業、ETP-8268)のCD復刻版。
  120. ^ 『サイモンとガーファンクルを歌う』(SOND-66056)、『ヤング訪問!!』(SOLJ-11)、『サイモン&ガーファンクル・ベスト(全訳)』(SOLJ-23)、『ぼくら青春の日々』(SOLJ-56)、『ぼくら心のふるさと』(SOLJ-87)、『ヤング集合!!』(SOLJ-91)のCD化。
  121. ^ a b メンバーによる歌唱指導。
  122. ^ ザ・バーズの「アテンションプリーズ」(1970年8月25日発売)は東宝が制作して1970年8月から1971年3月までTBS系列で放映された同名テレビドラマの主題歌で、砂川啓介名義の「俺は飛ぶ」は番組挿入歌、B面に収録されたザ・バーズ名義「恋かしら なぜかしら」は副主題歌である。

出典

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  4. ^ 『吹替の帝王』一城みゆ希インタビュー”. 2023年2月3日閲覧。
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  8. ^ http://temtekomy.seesaa.net/article/396833240.html
  9. ^ CD『ステージ101 / ステージ101』のライナーノーツに掲載されたシング・アウトの向山照愛の回想より。
  10. ^ アルバム『ステージ101/ニュー・フォークの世界』(ETP-8115、1971年9月5日)の解説より。
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