モナコGPの事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 05:42 UTC 版)
「エンリケ・ベルノルディ」の記事における「モナコGPの事件」の解説
この年の第7戦モナコGPで、この年ミハエル・シューマッハとタイトルを争い、前戦オーストリアGP終了時点でポイントリーダーのミハエルから4点差のランキング2位につけていたデビッド・クルサードをレース周回数の半分以上にわたって押さえ続けたことで、レース後にクルサードから非難され、不本意な悪名を負ってしまう。 このレースでポールポジションについたクルサードはエンジンストールにより最後尾からのスタートとなり、そのため、ベルノルディは同一周回のクルサードに対してブロックしていただけであり、なんら非難される理由はなかった。前走車を抜きにくいことで知られるこのコースで最後尾となった時点で、クルサードのレースはすでに絶望的であったが、それに加えてベルノルディのペースに付き合わされたことで周回遅れとなり、クルサードがこのレースを完全に失ったこともまた事実である。本来は紳士で温厚な人柄が知られるクルサードだが、この一件では怒り心頭に発し、ベルノルディをようやく抜きさり自由に走れるようになると、すでにレースの帰趨が見えた68周目にこのレースのファステストラップを鬱憤を晴らすかのごとく叩きだしている。 この一件について、ベルノルディに非がないことは言うまでもないが、結果的にこのレースがこの年のタイトル争いに小さからぬ影響を与えたこともまた事実である。クルサードはベルノルディを抜いた後になんとか5位に入賞し2ポイントを獲得したが、ミハエル・シューマッハはこのレースで優勝したため、点差は一挙に8点上積みされ12点となり、結果として、その後のタイトル争いの流れはシューマッハに大きく傾くこととなったのである。 レース後の反応として、イギリスのITVが行ったアンケートによると、ベルノルディの行為は正当だったとする回答が実に93%という数字をだしており、視聴者からはクルサードの批判は筋が通っていないと受けとめられていた。また、クルサードが所属していたマクラーレンのチーム監督であるロン・デニス、マクラーレンにエンジンを供給していたメルセデス・ベンツの責任者であるノルベルト・ハウグはレース後、ベルノルディに対して非公式な抗議を行ったが、そのデニスすらも公にはベルノルディを抜けなかったクルサードについて擁護せず批判した。
※この「モナコGPの事件」の解説は、「エンリケ・ベルノルディ」の解説の一部です。
「モナコGPの事件」を含む「エンリケ・ベルノルディ」の記事については、「エンリケ・ベルノルディ」の概要を参照ください。
- モナコGPの事件のページへのリンク