ボネットの船長としての権威
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 04:08 UTC 版)
「スティード・ボネット」の記事における「ボネットの船長としての権威」の解説
海賊船において船長が乗組員たちに行使できる権限の強さは疑問視されており、手続きや制裁は予め制定されていた掟に基づかなければならなかった。多くの海賊船においては、船長は仲間内から選出され、同様に退任させることもできた。そうした海の慣習に疎いボネットは、他の海賊船長よりもさらに弱い立場にあった。ボネットの初期のキャリアにおいては、手下たちの忠誠心は低く、むしろ経験豊富でカリスマ性のある黒髭の方に大いに敬意を払っていたようである。 裁判では、ボネットは自分の手下たちに対する権限が弱かったことを言い立てていた。ボネットは手下たちが自分の命令に反した海賊行為を行っていたと証言し、船を襲撃するのを止めなければ自分は船を降りるとまで警告していたと言った。さらにはフランシス号の拿捕時には寝ていたとすら主張した。裁判所はこれらの抗弁を認めなかった。甲板長イグナティウス・ペルは、操舵長のRobert Tuckerの方がボネットよりも力を持っていたと証言している。操舵長が力を持つというのは近世の海賊船では共通の特徴だったようである。 それにも関わらず、ボネットの手下たちは彼をリーダーとして認めていた。少なくとも、彼が黒髭によって置き去り刑にされた者たちを救助した後、ロイヤル・ジェームズ号に乗ってからは彼らの指揮官として認められたものと思われる。海賊団の戦利品管理を託されていたようであり、航路や攻撃する船の種類など、最も重要な意思決定を行っていた。さらに重要なのはデラウェア湾では彼は規律違反で2人の手下に鞭打ちを命じたことである。海賊たちの大部分は、元々海軍船や商船において、この罰が頻繁に行われることに憤慨して去った者が多く、したがって乗組員の信認を得ていなければ、このような罰を命じることはできないためである。
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