ホンダエンジン勢の不振
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 03:39 UTC 版)
「1987年日本グランプリ (4輪)」の記事における「ホンダエンジン勢の不振」の解説
このレースはホンダエンジンにとっての「母国グランプリ」であるものの、ポールポジションはフェラーリのゲルハルト・ベルガーに奪われ、2位もマクラーレン・TAG ポルシェのアラン・プロストとなるなど、これまで「指定席」であったスタートの最前列に1台も並べなかった。そればかりか、マンセルの欠場によりワールドチャンピオンが決まり、モチベーションを失ったウィリアムズ・ホンダのピケが5位、マシンバランスに問題を抱えるロータス・ホンダのアイルトン・セナはS字セクションでスピンを喫し7位と何れも振るわない結果となった。中嶋悟は、慣れ親しんだ鈴鹿で自身予選最高位となる予選11位を記録した。
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