ベルリン・フィル退任以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 16:52 UTC 版)
「クラウディオ・アバド」の記事における「ベルリン・フィル退任以降」の解説
2000年に胃癌で倒れ、以後の活動が懸念されたが、手術を受けて健康状態は持ち直し、ベルリン・フィル辞任後も新たな活動を続けた。2003年以降はルツェルン祝祭管弦楽団などや、自身が組織した若手中心のオーケストラ(マーラー室内管弦楽団、モーツァルト管弦楽団など)と活動することが多かった。ベルリン・フィルへも定期的に客演を行っているが、ウィーン・フィルとは、同団特有のローテーション制(リハーサルと本番で違う奏者が出てきたりする)に関する意見の相違から、疎遠となっていった。2006年にルツェルン祝祭管弦楽団と来日、ルツェルン・フェスティバル・イン・東京の一環としてサントリーホールにてオーケストラ公演が行われた。夏のルツェルンにての公演でも高い評価を得ていたブルックナー交響曲第4番の演奏がとりわけ評判となった。 2014年1月20日、ボローニャの自宅で胃癌により逝去。80歳没。
※この「ベルリン・フィル退任以降」の解説は、「クラウディオ・アバド」の解説の一部です。
「ベルリン・フィル退任以降」を含む「クラウディオ・アバド」の記事については、「クラウディオ・アバド」の概要を参照ください。
- ベルリン・フィル退任以降のページへのリンク