ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
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ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(ウィーン・フィルハーモニーかんげんがくだん、ドイツ語: Wiener Philharmoniker:['vi:nɐ[1] fɪlhar'mo:nikɐ[2]] ヴィーナ・フィルハルモーニカ、英語: Vienna Philharmonic Orchestra)は、オーストリア・ウィーンのウィーン楽友協会大ホール(ムジークフェラインザール)に本拠を置くオーケストラ。正式な略称はドイツ語表記よりWPhであるが、もっと簡単にWPともする。英語表記の頭文字を取ってVPOと表記されることもある。
注釈
- ^ SWR/FM、Wiener Philharmoniker、Video・Productionやメンバー表、楽員の話。
- ^ ヴァントが1960年にヴィルヘルム・バックハウスと共にシューマンのピアノ協奏曲を録音した際のエピソードを自ら語ったもの。『レコード芸術』1998年9月号、211頁。
出典
- ^ Duden Das Aussprachewörterbuch (6 ed.). Dudenverlag. (2005). p. 837. ISBN 978-3-411-04066-7
- ^ Duden Das Aussprachewörterbuch (6 ed.). Dudenverlag. (2005). p. 627. ISBN 978-3-411-04066-7
- ^ a b 浅里広三『レコード芸術』1999年3月号 P152「ウィーン・フィルの変遷と伝統」
- ^ フルトヴェングラー『音と言葉』芳賀檀・訳、新潮社、1981年、213頁。
- ^ 中野雄『ウィーン・フィル 音と響きの秘密』文藝春秋<文春新書>、2002年。
- ^ a b 2018年1月1日18時NHKEテレ放送「ウィーンニューイヤーコンサートに乾杯!生中継直前 音楽の祝祭を100倍楽しむ方法」
- ^ a b 2018年1月26日21時30分NHKEテレ放送ららら♪クラシック「高橋克典のウィーン紀行(1)ウィーンフィルの秘密」
- ^ 野村三郎『ウィーン国立歌劇場 すみからすみまで』音楽之友社、2014年、211ページ。
- ^ a b 2018年1月1日19時NHKEテレ放送「ウィーンフィルニューイヤーコンサート2018」
- ^ “ウィーン発 〓 ベルナルト・ハイティンクがウィーン・フィルの名誉会員に | 月刊音楽祭”. m-festival.biz (2019年3月13日). 2023年5月4日閲覧。
- ^ “ウィーン発 〓 ブロムシュテットがウィーン・フィルの名誉会員に | 月刊音楽祭”. m-festival.biz (2019年6月12日). 2023年5月4日閲覧。
- 1 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とは
- 2 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の概要
- 3 オーケストラのメンバー
- 4 歴史
- 5 歴代コンサートマスター
- 6 指揮者たち
- 7 コンサート
- 8 レコーディング
- 9 参考文献
ウィーン・フィル
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「カルロス・クライバー」の記事における「ウィーン・フィル」の解説
クライバーが指揮した数少ないオーケストラの一つであるウィーン・フィルは、1974年にベートーヴェンの「交響曲第5番」のレコーディング・セッションで初共演して以来、良好な関係を保ち続けるであろうと思われたが、1982年12月にベートーヴェンの「交響曲第4番」を練習中、意見の相違で楽員と対立し、定期演奏会をキャンセルしてしまう(「テレーズ事件」と呼ばれている)。6年間の空白の後、1988年3月に和解して再び指揮台に立ち、モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」とブラームスの交響曲第2番で、このときはあまりの練習の多さでミスが目立ったが、以来回数は決して多くないものの演奏を繰り広げた。1989年と1992年にはウィーン・フィルの有名なニューイヤーコンサートを指揮している。
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ウィーン・フィル
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「ヘルベルト・フォン・カラヤン」の記事における「ウィーン・フィル」の解説
1959年10月27日 - 11月7日 当時のNHKホール(内幸町)、日比谷公会堂、フェスティバルホールなどで公演。この時の一部公演が、NHKエンタープライズよりCDまたはDVD化されている。 ウィーン・フィルとの来日公演はこの時だけ。1990年2月に、東京と大阪での計4回予定されていた来日公演(『レコード芸術』1989年8月号)は、死によって幻となった。
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