ヘロドトスによる記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 15:44 UTC 版)
「ダレイオス1世」の記事における「ヘロドトスによる記録」の解説
ヘロドトスによれば、カンビュセス2世は弟であるスメルディスによる王位簒奪を恐れ密かに殺害した。そのためスメルディスの死は人々に知られる事はなかった。しかしカンビュセス2世がエジプトに遠征している最中、本国を任せていたマゴス僧パティゼイノスが反旗を翻した。このマゴス僧には容姿がスメルディスの生き写しの弟がおり、名前も同じスメルディスであった。そしてスメルディスの死が人々に知られていなかったことに目をつけ、この弟を殺害されたスメルディス王子その人であるとして玉座に着け、王国全土に布告を出した。カンビュセス2世はエジプトからの帰国の途上、シリアでこの知らせを聞き、激しく狼狽した後、偽スメルディスを打倒するため急ぎ戻ろうとしたが、乗馬する際に剣の操作を誤って負傷し、シリアのアグバタナで死去した。こうしてパティゼイノスと偽スメルディスがペルシアの支配権を握ったが、即位8カ月目にパルナスペスの子オタネス(ウターナ)が正体を暴き、ダレイオス1世を含む7人の同志 で、マゴス僧の兄弟を排除した。事が済んだ後、7人は国制をどうするかについて議論したがまとまらず、城外に騎乗して遠乗りし、日の出と共に最初に馬がいなないた者が王となることを定めた。そして馬丁オイバレスの計略により最初に馬をいななかせることに成功したダレイオス1世が王となった。
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