プレイガール (テレビドラマ)
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『プレイガール』は、東映東京制作所が制作を担当し[1][2]、1969年4月7日から1976年3月29日まで、毎週月曜日の21:00 - 21:56(JST)に東京12チャンネル(現:テレビ東京)で放映されたテレビドラマ[3]。全358話(続編も含める)[2][3]。続編の『プレイガールQ』、再放送の『プレイガール傑作シリーズ』も同時間帯で放映された[2]。
注釈
- ^ オープニングには第113話まで登場している。
- ^ オープニングには第269話まで登場している。
- ^ 第287話(最終話)のオープニングにはクレジットされているが、出演はしていない。
- ^ ラストの射撃シーンはミミ・由美子・やよい・映子→かおる・ユッコ・ミーコ→純子・オネエ・万智子の順。
- ^ ラストの射撃シーンは早苗・みち子・やよい・ミミ→ゆり子・映子・かおる・由美子→ミーコ・オネエ・万智子の順。
- ^ 第1話〜第26話は誰も登場せず、第64話~第82話はオネエのみ登場。
- ^ とも子やニッキーからアッコお姉さんと呼ばれている。
- ^ ラストの射撃シーンはキャシー・ルリコ・ミチ・ミミ→オネエ・アッコの順。
- ^ ラストの射撃シーンはミキ・マモル・レナ・ジュン→キャシー・ルリ子・三千・ミミ→オネエ・アッコの順。
- ^ a b ラストの射撃シーンはレナ・ニッキー・ミミ・ミキ→キャシー・ミチ・やよい→オネエ・アッコの順。
- ^ ラストの射撃シーンはレナ・ニッキー・ミミ・ミキ→美佐・キャシー・やよい・ララ→オネエ・アッコの順。
- ^ ラストの射撃シーンはララ・キャシー・マダム・美佐→アッコ・とも子・レナ・千枝→ミミ・やよい・オネエ・ニッキーの順。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w ノンクレジット。
- ^ 厳密にはシリーズ通算328話目だが、300回記念とされた経緯は不明。
- ^ このため、『金曜10時!うわさのチャンネル!!』は土曜深夜に放送されていた。
- ^ 腸捻転時代はテレビ大阪開局前であり、毎日放送はNETテレビ系列と東京12チャンネルの実質上のクロスネット体制を採っていた。
- ^ RKBでは1974年8月6日に放送されていたのは第278話『怪談 蝙蝠屋敷の怨霊』
出典
- ^ a b c d e f g h i j “大暴れ!ハレンチ・ドラマ 大きいお仙の影響 対決する『女殺し―』『お蘭』 女アクション続々と登場 テレビ界新番組大異変”. 内外タイムス (内外タイムス社): p. 5. (1969年9月7日)
- ^ a b c d e 74.第4章「行け行け東映・積極経営推進」 第11節「テレビ映画の飛躍 東撮中編」 創立70周年記念特別寄稿『東映行進曲』発信! - 東映 2023年9月30日閲覧。
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- ^ a b c d e f g h “戸川昌子が自作自演 東京(12)チャンネル "プレイ・ガール"”. 内外タイムス (内外タイムス社): p. 16. (1969年1月9日)
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- ^ 山城新伍『映画通のタネ本』青春出版社プレイブックス、1979年、82-83頁。
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- ^ a b “〈18人目プレイガール〉 東京12チャンネル ひし美ゆり子 超ミニでパワーアップ 海外ロケ、社会性も加味5年目、9月以降の続映も決まる”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 15. (1973年6月9日)
- ^ a b c d 「タウン 『ピンク・ロケに協力した団地族の"事情"』」『週刊新潮』1970年3月6日号、新潮社、16頁。
- ^ a b c d e 「問題特集 東映制作 東京12チャンネル 『プレイガール』のハレンチ撮影に滝〇団地(東京)団地夫人が激怒! くいちがう両者のいい分 『あまりにひどい!』団地の中で白昼堂々男と女がからみ合うなんて……」『週刊平凡』1971年3月11日号、平凡出版、42–44頁。
- ^ “playgirl”. テレビドラマデータベース. 2021年1月31日閲覧。
- ^ 『東京12チャンネル時代の国際プロレス』P24(2019年、辰巳出版、ISBN 978-4777822898)
- ^ 週刊TVガイド 1974年6月14日 26頁「レポート・チラリズムでは六年乗り切れず」
- ^ 1974年12月6日 日刊スポーツ掲載「ポルノ度足りぬ…早くもテコ入れ プレイガールQ」
- ^ 日刊スポーツ 1975年10月27日
- ^ 『北海道新聞』 1974年9月テレビ欄
- ^ 『北海道文化放送30年史』の21ページに掲載のコラム(『開局当時の思い出・プレイガールが消えた朝』)に、その記述がある
- ^ 上記内部リンクの放送リストと『東奥日報』1973年9月及び12月テレビ欄より
- ^ 『秋田魁新報』 1975年12月テレビ欄
- ^ 『山形新聞』 1974年9月テレビ欄
- ^ 『河北新報』 1974年9月テレビ欄
- ^ 『河北新報』 1975年12月テレビ欄
- ^ 『福島民報』1972年10月2日 - 1974年3月25日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『福島民報』1975年4月8日 - 1976年4月6日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『山梨日日新聞』 1974年9月テレビ欄
- ^ 『新潟日報』 1977年1月テレビ欄
- ^ 『信濃毎日新聞』 1974年6月テレビ欄
- ^ 『信濃毎日新聞』 1975年12月5日テレビ欄
- ^ a b c 『北國新聞』 1974年9月テレビ欄
- ^ 毎日放送40年史編纂室(編集)『毎日放送の40年』毎日放送、1991年、348頁。
- ^ 『山陰中央新報』 1973年7月テレビ欄
- ^ 『山陰中央新報』 1974年9月テレビ欄
- ^ 『山陽新聞』 1977年1月テレビ欄
- ^ 『中国新聞』 1975年10月5日テレビ欄
- ^ 『中国新聞』 1977年1月テレビ欄
- ^ 『愛媛新聞』 1974年6月テレビ欄
- ^ 『愛媛新聞』 1974年9月テレビ欄
- ^ 『高知新聞』 1974年11月4日朝刊及び1975年9月テレビ欄
- ^ 『西日本新聞』 1974年9月テレビ欄
- ^ 『熊本日日新聞』 1974年6月テレビ欄
- ^ 『熊本日日新聞』 1975年12月テレビ欄
- ^ 『沖縄タイムス』 1973年7月テレビ欄
- ^ “プレイガール ファミリー劇場”. ファミリー劇場. 2023年5月5日閲覧。
- ^ “東映チャンネル プレイガール(2017年3月アーカイブ時点)”. 東映チャンネル (2017年2月1日). 2023年5月5日閲覧。
- ^ “東映チャンネル プレイガール(2021年12月アーカイブ時点)”. 東映チャンネル (2021年10月31日). 2023年5月5日閲覧。
- ^ “東映チャンネル プレイガールQ(2023年6月アーカイブ時点)”. 東映チャンネル (2023年6月2日). 2023年6月2日閲覧。
- ^ “東映チャンネル 無料放送のお知らせ(2023年6月アーカイブ時点)”. 東映チャンネル (2023年6月2日). 2023年6月2日閲覧。
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