プリンス・ホール(黒人ロッジ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 08:14 UTC 版)
「フリーメイソン」の記事における「プリンス・ホール(黒人ロッジ)」の解説
過去に「非正規」派として知られていたのが、アメリカの黒人メイソン、プリンス・ホール(Prince Hall)によるグランド・ロッジ、「アフリカ・ロッジ」である。1784年9月20日、ボストンで設立された。こちらも1787年に一度イングランドのグランド・ロッジから承認を受けていた。しかし、活動が休眠状態となり、納付金滞納を理由に1813年に認証を取り消された。1827年、活動を再開し納付金支払いを英グランド・ロッジに願い出たが、英側はこれを無視した。やむなく、同年6月28日、独自のグランド・ロッジ設立を宣言。仏大東社との大きな違いは、黒人によるロッジは、従来の英米系ロッジと全く変わることのない憲章を奉じていたことである。そのため、最初の納付金滞納はともかく、その後支払いを願い出ても相手にせず、英米系ロッジが黒人のグランド・ロッジを無視し続けたことは、英米系ロッジによる人種差別思想の表れといえた。 黒人によるロッジは独自に勢力を拡大し、米国とカナダを中心に、日本にもロッジを設けている。「正規派」が黒人によるロッジを再承認するようになったのは、1980年代も後半になってからである。1994年には、イングランド・グランド・ロッジとの相互承認を回復した。 フリーメイソンの正装を着たプリンス・ホール。 プリンス・ホールの息子でアフリカン・ロッジで活動したプリムスが設立に参加した教会「African Meeting House」(アメリカ合衆国国家歴史登録財)。ここにプリムス主催の学校があった。 米シアトルのプリンス・ホール・メソニック・テンプル。ワシントン・ アンド・ジュリスディクションのプリンスホール・グランドロッジ。 米ボルチモアにあるプリンス・ホール・メイソンリーの所有物件「Eutaw Place Temple」。もとはドイツ人ユダヤ教徒のシナゴーグ。 アメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されているマサチューセッツ州のプリンス・ホール墓地。メイソンのエプロンを着用して戦没将兵追悼記念日に集うメイソンたち。
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