フジテレビ専属→フリーアナウンサー
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「大塚範一」の記事における「フジテレビ専属→フリーアナウンサー」の解説
1994年3月にNHKを退職し、翌4月からフジテレビ『めざましテレビ』の初代総合司会を担当。長らくフジテレビの「朝の顔」を務める。このフリー転身はフジテレビからの引き抜きの形で、しばらくの間フジテレビと専属契約していた。その後、朝日放送(現:朝日放送テレビ)『現代進行形TV イマジン!』を皮切りに他局番組への出演もこなすようになる。 2006年にフジテレビ『メントレG』にゲスト出演した際、『めざましテレビ』の初期において、NHK出身であるが故にCMの入り方が分からず苦労したことを明かした(本人曰く「CMの入り方は八木さんに任せていた」とのこと)。 「フリーになっていなかったらどうしていたと思いますか?」と聞かれた時、「『その時歴史が動いた』(NHK)の司会に興味がある」と答えた。大塚がフリー転身を考えた理由の1つに、オリンピック中継のキャスターを務めることが出来なかったことを挙げている(大塚は各種スポーツ実況が得意であったため)。なお、大抵のフリーアナウンサーは事務所に所属しているが、大塚は文字通りフリーランスの立場でのフリーアナウンサーである。理由として、1995年の『朝日新聞』のインタビューで「今まで組織の中で長くやってきた。だから今度は組織に縛られずやっていきたい」と述べている。 朝から生放送の『めざましテレビ』を受け持つようになってから、健康管理には徹底しており、どんなに忙しくても、5時間の睡眠と1時間の仮眠を心掛け、毎朝3時に起床し頭がしっかり回転するよう朝食をしっかり摂り、ヨーグルトを欠かさず食べていた。また自身の好きなゴルフなどをするなど暇さえあれば体もマメに動かしていたという。その他、嫌煙家でもある。 番組で共演する女性アナウンサー・キャスターと食事をするなど交流の場を多く持ってきた。大塚はこれを番組を続けていく上の大きな活力として公言していたという。 平日朝の『めざましテレビ』と平行して、フジ『情報プロジェクトS』→『土曜LIVE ワッツ!?ニッポン』でも総合司会を務めた時期があった。 1996年7月に放送されたフジテレビ系列の毎年夏の恒例イベントFNS27時間テレビ・『FNSの日 十周年記念:1億2500万人の超夢リンピック』では、当時フジテレビアナウンサーであり、『めざましテレビ』で総合司会コンビを組んでいた八木亜希子と恒例の朝一列島中継形式で「1億2500万人の超夢リンピック 全国名所でバスケット・フリースロースーパー大予選会」の総合司会を務めた。
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