フィンランド侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:07 UTC 版)
詳細は「冬戦争」を参照 ソ連はフィンランドにも同様の協定への調印を要求したがフィンランドは拒否し、1939年11月30日、ソ連はフィンランドに侵攻し、冬戦争が勃発した。この侵攻は国際連盟によって違法なものと判断され、12月14日にソ連を国際連盟から除名する。この戦争は1940年3月13日に終り、フィンランドとソ連はモスクワ平和条約に調印した。フィンランドは首都ヘルシンキに次ぐ第2の都市ヴィープリを含む産業の中心部も併せてカレリアのほとんど全て(全部で領土の10%近く)を譲渡することを強制された。軍隊と残っていた住民は、新しい国境の内側に急いで避難している。フィンランドの全人口の12%に相当した42万2千人のカレリア住民が家を失った。フィンランドはバレンツ海のリバチー半島(英語:Rybachy Peninsula、フィンランド語:Kalastajasaarento)のフィンランドの領域であったサッラ (Salla) の一部に加えてフィンランド湾のスールサーリなど4つの島も譲渡しなくてはならなかった。最終的にハンコ半島は30年間海軍基地としてソ連に貸与された。1941年6月、フィンランドとソ連は継続戦争で交戦を再開する。
※この「フィンランド侵攻」の解説は、「バルト諸国占領」の解説の一部です。
「フィンランド侵攻」を含む「バルト諸国占領」の記事については、「バルト諸国占領」の概要を参照ください。
- フィンランド侵攻のページへのリンク