ファシズム台頭と独自外交
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 00:56 UTC 版)
「レオポルド3世 (ベルギー王)」の記事における「ファシズム台頭と独自外交」の解説
欧州では、1933年1月30日にヒトラーが首相に任命されて以降、10月21日には国際連盟脱退、1935年5月16日にはドイツ再軍備宣言とドイツを巡る情勢は急速に悪化していった。 また、ベルギー国内は1929年の世界大恐慌以降、議会制民主主義への批判が噴出し、政権が安定しなかった。 このような情勢下において、レオポルド3世は1920年に締結された仏白軍事協定によって、かえってドイツからの標的になると考え、1936年10月14日の閣議で、フランスへの従属から独自外交への政策転換を訴える。ベルギーもまた、対独融和政策をとり続けた。 国王の姿勢は、フランス側から「裏切り」と批判され、ドイツ側からは「フランスからの離反」と讃えられたのみならず、国内のフランデレン主義の活動家(アクティヴィスト)をも刺激する結果となった。
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