バーガミニの評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:48 UTC 版)
1965年、米留学から帰って来た際に、来日中の知人クローリー博士から、日本の近現代史を書こうとしていたデビッド・バーガミニを紹介され、ノートを貸す等協力した。ところが、バーガミニの出版した『天皇の陰謀』の内容が、秦が望むような方向性のものではなかったため、ウソや初歩的ミスが多いと非難、さらに「田中上奏文」や「シオン議定書」と並べて偽書とまで評した。(由来や著者を偽ったわけではないので、ミスが多かったり歴史認識を間違っていたとしても、単に誤りの有無という問題であり、本来は偽書というべきものではない。) 秦は、バーガミニの『天皇の陰謀』について、訳書のサックカバー(本文ではない)の紹介文に誤りがあることをもって、「出発点で最大のセールスポイントが混戦するようでは、あとは知るべし」とし、「せっかくのプロットも途中から総崩れの状を呈したのは当然」との結論にまで一気に結びつけているが、紹介文の誤りで何が結局どう総崩れとなったと考えているのか、秦自身は何も語っておらず、明確でない。 また、「天皇は開戦十一か月前に真珠湾攻撃の成否検討を杉山参謀総長に命じていたという新事実が杉山メモで判明した、とバーガミニは強調しているが、(略)該当の箇所は見つからなかった。何かの錯覚だと思われるが、仮に事実だとすれば検討を命じられるのは、陸軍(の杉山参謀総長)ではなく、海軍の軍令部総長でなくてはならぬ、という初歩的常識を著者・訳者ともに持ち合わせていないようだ」とする。しかし、実際には、まずバーガミニの『天皇の陰謀』の本文では、バーガミニが目をとおした限りの資料(杉山メモとはなっていない)では天皇が個人的に大西海軍少将に命じ、成算があることが分かった後、8月に軍令部総長は知らされ、さらに十月末になって、ようやく杉山参謀総長に知らされたことになっている。(実際に、杉山メモには十月末の海軍からの参考資料に、11月3日に真珠湾攻撃の軍令部総長の決裁を得るとするスケジュール表がある。)また、訳者後記では、アメリカで原本を出版したモロー社が広告の案内文で(当然、案内文を書いた者が誤って)杉山メモとしていたことが述べられており、秦の書いた内容とは全く異なっている。 なお、秦郁彦自身は、ミスの数の多さについて粗捜しや言いがかりといったことは避けるべきで、これを問題にすれば、秦自身も含めほとんどの物書きや出版社は改竄者の汚名を着ることになると言ったことがある(下記、マレーシア虐殺報道の奇々怪々」(秦郁彦『昭和史の謎を追う』上巻,1993年)をめぐってを参照)。
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