ディレクター時代(1967年5月、30歳となる)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 19:21 UTC 版)
「堀川とんこう」の記事における「ディレクター時代(1967年5月、30歳となる)」の解説
ハトポッポ嫁さん(1968年、出演・林美智子、川崎敬三、片岡千恵蔵ほか)- ディレクター(略称:D) 妻ヲメトラバ(1969年、三橋達也、ミヤコ蝶々、緑魔子、毒蝮三太夫、いしだあゆみほか)- ディレクター 安ベエの海(テレビ小説)(1969年、木内みどり、有川博、初井言栄ほか)- プロデューサー助手 あなたとジュリー(音楽番組)(1970年、沢田研二、タイガースほか)- ディレクター 冬の雲(1971年、田村正和、大原麗子、市原悦子、二谷英明、久我美子ほか)- ディレクター みかん きんかん 夏みかん(1971年、池内淳子、児玉清、山岡久乃、黒柳徹子ほか) - ディレクター ひまわりの道(テレビ小説)(1971年、佐野厚子、村野武範、久米昭ほか)- ディレクター アンラコロの歌(テレビ小説)(1972年、泉晶子、江守徹、西田敏行ほか)- ディレクター 私は忘れたい(1972年、岩下志麻、藤岡弘、杉浦直樹、市原悦子、佐藤慶ほか)- ディレクター 愛よ、急げ(1972年、仁科明子、志垣太郎、篠田三郎)- ディレクター 遥かなるわが町(1973年、倍賞千恵子、芦田伸介、浦辺粂子、米倉斉加年ほか)- ディレクター 愛子(1973年、杉田景子、渡辺美佐子、垂水悟郎、大門正明、岡田裕介ほか)- プロデューサー ヨイショ(1974年、渥美清、小倉一郎、賀原夏子、松村達雄、松原智恵子ほか)- ディレクター あこがれ共同体(1975年、郷ひろみ、西城秀樹、桜田淳子、森本レオほか)- ディレクター なつかしき海の歌(1975年、吉田拓郎、浅田美代子、加山雄三、香山美子ほか)- ディレクター ガラスの森(1975年、田村正和、竹脇無我、酒井和歌子、紀比呂子ほか)- ディレクター 君の歌が聞きたい(1975年、古谷一行、小川知子、島田陽子ほか)- ディレクター グッドバイママ(1976年、坂口良子、平幹二朗、篠田三郎、風間杜夫、岡田裕介ほか)- プロデューサー 堀川は、プロデューサーとなるべく、『安ベエの海』で事前教育を受けた。そのとき堀川は、不本意にもプロデューサー助手を務めなければならなかった。『愛子』『グッドバイママ』ではいよいよ、プロデューサーとして看板を掲げることになる。そして次の『岸辺のアルバム』(小見出し2:プロデューサー時代 参照)からは、プロデューサーとして本格的な仕事をこなすようになる。 堀川とんこう著『ずっとドラマを作ってきた』(1998年、新潮社)の55ページから56ページ、69ページ以降に、それらが記されている。 その『安ベエの海』であるが、原作は作家 佐藤愛子の『加納大尉夫人』(芥川賞候補作品)である。実は堀川はAD時代、同名のドラマを担当している。(小見出し2:AD時代 参照)東芝日曜劇場枠だった。そのとき演出を務めたTBSの蟻川茂男(堀川の遠い親戚)が、「あれは連続ドラマになる」といって、テレビ小説の企画になった。それが『安ベエの海』である。 堀川とんこう著『ずっとドラマを作ってきた』(1998年、新潮社)の55ページに当該事実が記されている。
※この「ディレクター時代(1967年5月、30歳となる)」の解説は、「堀川とんこう」の解説の一部です。
「ディレクター時代(1967年5月、30歳となる)」を含む「堀川とんこう」の記事については、「堀川とんこう」の概要を参照ください。
- ディレクター時代のページへのリンク