テューダー朝期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 05:16 UTC 版)
1578年の夏、ペンザンスは腺ペスト (Bubonic plague) の流行に見舞われた。ペンザンスにおけるすべての出生・死没・結婚が記録されているマドロンの埋葬記録によれば、前年の死者が12人だったのに対して1578年の死者は155人と、大幅な増加を示している。これは、当時の村の人口のおよそ10パーセントであると推定されている。ペストは1647年にも再来し、埋葬記録によれば1年の死者数は22人から217人に増加している。 コーンウォールの最西端に位置しているという条件から、ペンザンスおよびその周辺の村は、何度も外国の艦隊に略奪を受けてきた。1588年のアルマダの海戦から数年経った1595年7月23日、カルロス・デ・アメスキータ(スペイン語版)率いるスペイン軍が英仏海峡のパトロールを行い、コーンウォールに兵士を揚陸した。アメスキータの軍勢は物資を略奪し、ペンザンスおよび周辺の村を襲って焼き払い、ミサを執り行った後、イングランド軍と正面から対決する前に出帆した(コーンウォールの戦い(英語版))。
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