テューダー期におけるワイバーンの成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 19:14 UTC 版)
「ワイバーン」の記事における「テューダー期におけるワイバーンの成立」の解説
相違点も見られるが、二足の竜としてのワイバーンの成立とテューダー朝の関係に複数の専門家が言及している。また、それは当時の紋章官の責任であるという意見も共通して見られる。 グゥイン=ジョーンズはテューダー期にワイバーンが成立したと説明する。彼はドラゴンが二足から四足へと変わったことは大部分が紋章官達の責任であるようだとしており、二足の竜はワイバーンと呼ばれるようになったとしている。デニスもワイバーンという言葉が二足の竜を指すようになったのはテューダー期に始まったことだとしているが、テューダー期にはドラゴンという言葉はまだ二足の竜と四足の竜両方を指していたとしている。 Barron (1911)も同様に二足の竜としてのワイバーンの成立はテューダー期であったとするが、「紋章官の責任」についてはグゥイン=ジョーンズとは異なる見解を示している。彼は中世のワイバーはワイバーンとは別の姿であったとみなしており、テューダー期の紋章官が中世のワイバーの形状を踏まえずにドレークの紋章に描かれた二足の竜を「ワイバーン」と記録してしまったことをワイバーンの成立としている。彼はこれを紋章官の「発明」(あるいは捏造)であると表現している。
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