スマッツ将軍到着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 04:28 UTC 版)
「アフリカ戦線 (第一次世界大戦)」の記事における「スマッツ将軍到着」の解説
イギリス軍のホレス・スミス=ドリエン(英語版)将軍はドイツ軍との戦闘の指揮官に任命されていたが、南アフリカへの航海中に肺炎に罹り、指揮をとることができなくなった。1916年、ヤン・スマッツ将軍がレットウ=フォルベック撃破の任を受けた。スマッツは(その地域では)大規模なおよそ13,000名のブール人を含む南アフリカ兵、イギリス兵およびローデシア兵のほか、7,000名のインド人およびアフリカ人兵士を擁していた。また、彼の直属では無いが同じ連合軍としてベルギー軍と、ポルトガル領東アフリカには大規模だがまったく頼りにならないポルトガル人部隊がいた。イギリス軍に指揮されたアフリカ人ポーターによる大規模な運搬兵団(Carrier Corps)が、鉄道や道路がいたるところで寸断されている内陸部に入ったスマッツの軍に物資を供給した。これらはそれぞれ別々の国の部隊であったが、原則的に南アフリカ軍のスマッツに指揮された。
※この「スマッツ将軍到着」の解説は、「アフリカ戦線 (第一次世界大戦)」の解説の一部です。
「スマッツ将軍到着」を含む「アフリカ戦線 (第一次世界大戦)」の記事については、「アフリカ戦線 (第一次世界大戦)」の概要を参照ください。
- スマッツ将軍到着のページへのリンク