スペクトラムの変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/29 07:17 UTC 版)
「守備のスペクトラム」の記事における「スペクトラムの変化」の解説
野球の130年の歴史を振り返った分析では、守備のスペクトラムが一度だけ変化している事を示している。19世紀後半と20世紀初頭に、三塁は一般に二塁よりも困難であると考えられた。この時代は併殺プレーも比較的稀だったので、ゴロを二塁手よりも遠い位置から投げなければならなかった三塁手の守備の責任は二塁手よりも高く、ナップ・ラジョイやロジャース・ホーンスビーに代表されるように優秀な打者は三塁手より二塁手に多かった。その結果、当時の守備のスペクトラムはこのように示される。 一塁手 - 左翼手 - 右翼手 - 二塁手 - 中堅手 - 三塁手 - 遊撃手 - 捕手 - 投手 しかし、1920年代から1930年代には、守備のスペクトラムが変わり始めていた。併殺の増加は二塁手の守備の責任を増加させていった。1938年にセントルイス・ブラウンズのハーロンド・クリフトがシーズン30本塁打を放ち、初の攻撃型三塁手として注目された。1945年までには二塁は三塁よりも重要度の高い守備位置として確立された。
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