スバル・トヨタ時代(1990年〜1993年)
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グループA規定初期にはランチアの独擅場と言えたWRCだったが、ここに来てトヨタ、三菱といった日本勢の進化がめざましい状況へと変化しつつあった。そのような中、アレンは1990年にスバルへと移籍する。スバルは1970年代後半からレオーネでサファリラリーに参戦していたが、本格参戦はこの年からという新参チームで、このトップドライバーの決断は周囲を驚かせた。スバル・レガシィのデビュー戦となったサファリラリーで、アレンはいきなりSSトップタイムを叩き出し注目を集めるが、結局リタイヤ。この年は5戦に出場し、リタイヤ4回。最上位は1000湖の4位という結果に終わったが、レガシィの初期熟成に大きな役割を果たした。 1991年も同じくスバルから出場。シーズンを通してレガシィのパワー不足に悩みながらも、スウェディッシュで初の3位表彰台へと導く。その後もニュージーランドとオーストラリアで4位に入るなど、ランチア、トヨタに続く中堅チームとしての基盤を作り上げた。 1992年にはトヨタに移籍。エースのカルロス・サインツをサポートする立場として7戦に出場。得意の1000湖で3位に入るなど手堅くポイントを稼ぎ、チームに貢献する。そして翌1993年はスバルとトヨタからスポット的に参戦。ポルトガルではレガシィで4位、サファリではセリカで2位に入る。そして1000湖ラリーでは、スバルが投入したニューマシン、スバル・インプレッサで参戦。しかし、SS1のスタートからわずか800mで路肩の石にヒットしリタイア。結局この1000湖がレギュラードライバーとしてのアレンの最後のラリーとなった。
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