ザ・ストゥージズ
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ストゥージズ[注 1](The Stooges)は、アメリカ合衆国出身のロック・バンド。
注釈
- ^ 「ストゥージス」の表記もある。
出典
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- ^ 500 Greatest Albums of All Time: The Stooges, 'The Stooges' | Rolling Stone
- ^ The 100 Best Debut Albums of All Time: The Stooges, 'The Stooges' | Rolling Stone
- 1 ザ・ストゥージズとは
- 2 ザ・ストゥージズの概要
- 3 来歴
- 4 メンバー
- 5 影響
ザ・ストゥージズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 04:19 UTC 版)
「ジェームズ・ウィリアムソン」の記事における「ザ・ストゥージズ」の解説
アナーバーに滞在したウィリアムソンは、ザ・ストゥージズのローディーを務めていたジーク・ゼトナー(英語版)、ビル・チーザム(英語版)と同居し、2人とジャムセッションを行うなどして、ギターの練習を続けていた。 その頃、セカンドアルバムの『ファン・ハウス(英語版)』リリース後のザ・ストゥージズはツインギター体制への移行を試みていて、当初はロン・アシュトンの友人でもあったビル・チーザムをセカンドギタリストとしたが、本人はプロフェッショナルな音楽活動を続けるつもりがなく、加えて技術的にも問題があったため参加は短期間に終わり、イギーがギターの腕前と作曲も行うことを知っていたウィリアムソンに声をかけ、ウィリアムソンも加入を承諾した。加入後の最初のギグは1970年12月5日だった。 しかし、その頃のザ・ストゥージズは混乱期でもあった。商業的に失敗し、ビル・チーザムに見るようにメンバーは短期間で入れ替わり、イギーとスコット・アシュトンは薬物問題を抱えていた。ロン・アシュトンは薬物に手を出していなかったが、そのために作曲パートナーだったイギーと疎遠になり、既に薬物に手を出していたウィリアムソンが新加入メンバーにも関わらず新たな作曲パートナーとしての地位を獲得した。 しかし、混乱に陥ったバンドを当時契約していたレコード会社エレクトラは見限っており、ある日、イギー、ウィリアムソン、スコット・アシュトンが同居していたマンションを訪れると次回作に収録予定の新曲を聞かせるように要求し、ウィリアムソンとイギーが披露したところ、出来が悪いと酷評してそれを理由に契約を解除してしまった。これによりバンドは更なる苦境に陥り、加えてイギーが薬物依存の治療施設に通い始め、ウィリアムソンも肝炎に罹患してデトロイトの姉の家で療養生活に入ったことから継続的な活動も難しくなり、結果、ウィリアムソンが治癒した頃には、バンドは解散を表明していた。
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