サントノレ通り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 14:58 UTC 版)
サン=トノレ通り(フランス語: rue Saint-Honoré、サントノレ通り)とは、フランス・パリの市内中心部、セーヌ川右岸(北岸)1区にある通りである。一部8区に差し掛かる。中世後期の時代からパリ市内(パリ城壁内)中心部を東西に走る、歴史的な通りでもある。
注釈
- ^ 同様に、パリ7区のフォーブール=サンジェルマン、同12区のフォーブール=サンタントワーヌ…などに用いられる"フォーブール"とは、ラテン語で"外れ"、"城外"の意。
- ^ イヴ・サン=ローランの下で学び、ジバンシーのアシスタントを務め、当時の顧客にオードリー・ヘップバーン等がいた。1989-1996年の間はハナエ・モリのデザイナーを務めた。1998年には大丸と提携しプレタポルテを担当した。2000年以来、フォーブール=サントノレ通り14番地に本店がある。
- ^ 1970年代以降、フランスと日本の2カ国で人気があったブランドだった。健康上の理由により、1985年以降閉業状態にある。
- ^ 19世紀後半の1882年、サントノレ通り283番地発祥の婦人バッグなど革アイテムのファッションブランド。現在はフォーブール=サントノレ通り49番地に本店を構える。
- ^ 1588年5月12日、ユグノー戦争のバリケードの日 (fr) は、サントノレとアルブル=セック通りとの角で勃発し、カトリック派ギーズ公が国王アンリ3世をパリから追い出した。
1830年7月27・28・29日の3日間勃発したフランス7月革命の初日27日、サントノレの現在のオペラ大通り界隈ロアン通り (fr) からレシェル通り (fr) にかけて築かれたバリケードが同革命の始まりであった。このバリケード戦はウジェーヌ・ドラクロワに『民衆を導く自由の女神』を描く着想を与えた。
同通りのその他の革命については「Rue Saint-Honoré#Une rue « révolutionnaire »」を参照。 - ^ 1610年5月14日、サントノレ通りの東側至近、レ・アル地区のフェルヌリ通り (fr) で、ラヴァイヤックがアンリ4世を暗殺した。同通り11番地路上にプラークがある。また、同通り2-4-6-8-10-12-14番地に渡る長いビルは、パリ市内で最も長いビルの一つになり、1669年-1678年にかけて建造された。
- ^ 同サントノレ通り北側、マルシェ=サントノレ広場 (fr) 界隈のドミニコ会ジャコバン修道院に会派が置かれていた。また、フイヤン同様に会派の名称の由来となった。「Couvent des Dominicains (Paris)」も参照。
- ^ ショセ=ダンタン通りに邸宅があった。
- ^ 2002年秋からフランスとカナダケベックでテレビ放映された『ナポレオン (テレビドラマ)』のシーン( 仏語 - YouTube、英語 - YouTube)も参照。
- ^ a b c d 「パリの行政区」「パリ改造」「シャルル5世の城壁 (fr)」「ルイ13世の城壁 (fr)」「ティエールの城壁」なども参照。
- ^ 現在のサントノレ通りとルーヴル宮殿の間、パレ・ロワイヤル向かいサントノレ通りと東西に並走するリヴォリ通り付近、南北に走るオペラ大通りの起点付近にあった。文字通り(フランス語の昔の数の数え方。キャンーズ・ヴァンは15×20=300)300床のベッドがあった。1779年、ルイ16世が現在の12区シャラントン通り界隈に移設した。
- ^ 2002年、音楽レーベルからスタートし、ファッションブランド、カフェなどを展開する日本人とフランス人によるコラボブランド。2008年、パレ・ロワイヤルに開店。2013年以降、東京南青山の表参道交差点界隈や代官山にブティックやカフェがオープンしている(“メゾン キツネ / MAISON KITSUNÉ”. VOGUE (2018年). 2018年7月12日閲覧。)。
- ^ ヴィクトワール広場界隈、サンジェルマン=デプレ界隈7区バック通り (Rue du Bac)、16区パッシー通り (Rue de Passy)、ボルドー、NYマンハッタン等に店舗がある他、東京南青山5丁目交差点界隈のELLE café AOYAMA のインテリアデコレートも担当した(パリの人気デザイナー、サラ・ラヴォワンヌが語る「エル カフェ」青山店のインテリアの秘密 ELLE DECO 2016年11月10日)。
- ^ 同サントノレ通り108番地にも店舗がある。その他に、リュクサンブール庭園南西側ヴァヴァン通り (Rue Vavin) 3番地、7区クレール通り (Rue Cler) 入り口ラ・モット=ピケ大通り (Avenue de la Motte-Picquet) 23番地bis、9区ギャルリー・ラファイエット内、マレ地区ブルターニュ通り (Rue de Bretagne) 41番地、東京神宮前、銀座、台北、上海等に店舗がある。
- ^ イヴ・サロモン内で、老舗ファーブランドのルヴィヨン (Revillon Frères) も取り扱う。フォーブール=サントノレ通り36番地、モンテーニュ大通り40番地にも店舗がある。
- ^ ミシュランガイド2つ星の店舗。同本店のライセンスブランド店に、銀座四丁目交差点のレストラン(2020年閉店)、渋谷のブーランジュリー(2019年開店)などがある。
- ^ ヴィクトワール広場やフォーラム・デ・アールがあるレ・アール地区、パリ1区ルーヴル通り25番地にもブティックがある。
- ^ 2005年度の『パリの最優秀ブラッスリー』として日本でもマスメディアを通じてよく喧伝されるブラッスリーないしレストラン。例えば 「シェ・フロット(パリ一区) ブノワ(青山)」 (All About, 2013年) などの記事。
出典
- ^ Un restaurant historique Cáfe Ragueneau (フランス語)
- ^ “官能的なシャンタル・トーマスのランジェリー♡”. マダム・フィガロ.jp (2015年3月23日). 2019年3月7日閲覧。、“日本のお店で買える、パリの人気下着ブランドを厳選”. All About (2017年4月13日). 2019年3月7日閲覧。
- ^ パリにパコ・ラバンヌのブティックがオープン。東京では、小物のポップアップストアが! マダム・フィガロ.jp 2016年2月3日
- ^ “「ヴァレンティノ」がメンズ旗艦店をパリにオープン”. WWD (2014年1月23日). 2018年6月9日閲覧。
- 1 サントノレ通りとは
- 2 サントノレ通りの概要
- 3 主な商業施設・店舗など
- 4 脚注
サントノレ通り(1区)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 02:09 UTC 版)
同通りからフォーブール=サントノレ通りに至る周辺界隈は、フランスのハイ・ブランドやラグジュアリーの本店が並ぶ、世界屈指の高級ブランド店街。ヴァンドーム広場、コンコルド広場、ルーヴル美術館、テュイルリー庭園に囲まれたパリ中心部の通り。8区内でシャンゼリゼ通りと並走するフォーブール=サントノレ通りに続いていく。
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