クーロン事件
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1883年、米国の心霊主義者ヘンリー・キドルはA・P・シネットの『オカルト世界(英語版)』(1881年)に掲載されたクートフーミの手紙について、出版された自分の講演の剽窃だと指摘した。ロンドンの神智学協会会長や多くの神智学徒が協会を離れたが、それだけでなく、英国心霊現象研究協会 (SPR) という権威ある団体の注意を引くことになった。また神智学協会の急激な拡大とヒンドゥー教勢力への接近は、カトリック教会と心霊主義の反発を買っていた。マドラス郊外のアディヤール地区にあった神智学協会本部では、ブラヴァツキーの知人エマ・クーロンが働いていたが、クーロン夫妻は「マハトマ書簡」出現トリックの助手であったとされる。夫妻は1884年に、「マハトマ書簡」がブラヴァツキーによって書かれた証拠と共に、「奇跡」の手の内を暴露した(クーロン事件)。1885年に英国心霊現象研究協会のリチャード・ホジソンによって虚偽性を非難するホジソン報告(英語版)が発表されている(後にこれは心霊現象研究協会手続上の瑕疵により、心霊現象研究協会としての行動ではなかったと表明)。心霊現象研究協会の社会的信頼は大きく、これを引き金にカトリック系、心霊主義関係、共産主義の出版物や新聞に続々とゴシップが載り、神智学協会は大きな打撃を受けた。
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