クローヴィス1世 (フランク王)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 14:27 UTC 版)
クローヴィス1世[注釈 2](クローヴィス1せい、仏: Clovis Premier, フランス語発音: [klɔ.vis] 発音例 独:Chlodwig I. ,466年頃 - 511年11月27日)は、メロヴィング朝フランク王国の初代国王(在位481年 - 511年)である。日本では大半の書籍[注釈 3]でクローヴィス1世の表記が用いられる。
注釈
- ^ a b バシナについては、トゥールのグレゴリウスはテューリンゲン族の王妃とし、王と離縁した後にキルデリク1世と再婚したとしている。フランスのルネ・ミュソ=グラールは『偽フレデガリウス年代記』の記述をもとに、キルデリク1世がコンスタンティノープルに滞在していた時期に娶ったビザンツ宮廷に近い女性であったと推測している[1]。
- ^ 古代ラテン語表記のクロウィス(Clovis)、ラテン語ではクロドウェクス(ラテン語: Chlodovechus)、フランス語のクロヴィス、または古高ドイツ語および中高ドイツ語表記のクロードヴェヒ、クロートヴィヒ(Chlodowech, Chlodwig)と長音される表記もみられる。現代フランス語のルイ(Louis)、現代ドイツ語のルートヴィヒ(Ludwig)に当たる。
- ^ 各社の高校世界史関連の教科書・参考書、一般書など
- ^ アウグストゥスは執政官経験者から選ばれるか、アウグストゥスになると同時に執政官に就任するのが伝統だった。
- ^ クローヴィスに与えられた「アウグストゥス」の称号は、一般にはテオドリックに与えられていた「カエサル」の称号よりも上位の称号と認識されているものである。ただしテオドリックの称号についてはクローヴィスと同じく「アウグストゥス」であったと記す同時代のラテン語碑文も見つかっている[16][17]。
出典
- ^ R.ミュソ=グラール、pp.26-32。
- ^ フランス史、p.136-137。
- ^ ジャン2009、p.18。
- ^ a b フランス史、p.137。
- ^ R.ミュソ=グラール、p.42。
- ^ R.ミュソ=グラール、p.81。
- ^ フランス史、p.137-138。
- ^ a b c 五十嵐2003、pp.328-329。
- ^ a b フランス史、p.138。
- ^ a b R.ミュソ=グラール、p.112。
- ^ a b c エドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』5巻、岩波書店、村山勇三(訳)、1954年、p.357。
- ^ a b R.ミュソ=グラール、pp.112-114。
- ^ ハンス・K・シュルツェ 『西欧中世史事典Ⅱ 皇帝と帝国』 ミネルヴァ書房、2005年、p.39。
- ^ Von Mathias Lohre “Die Erbens des Imperiums”, P.M. History, 09/2018, p. 32.
- ^ 『ブリタニカ国際大百科事典』第2版、TBSブリタニカ、1993年、フランス史。
- ^ アンリ・ピレンヌ 著、佐々木克巳・中村宏 訳『ヨーロッパ世界の誕生』創文社、1960年、49頁。ISBN 9784423492017。
- ^ 松谷健二『東ゴート興亡史 東西ローマのはざまにて』白水社、1994年、92頁。ISBN 4560028761。
- ^ R.ミュソ=グラール、p.77。
- ^ R.ミュソ=グラール、p.113。
- 1 クローヴィス1世 (フランク王)とは
- 2 クローヴィス1世 (フランク王)の概要
- 3 脚注
- クローヴィス1世_(フランク王)のページへのリンク