クラカウアーへの反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 03:13 UTC 版)
「カリガリ博士」の記事における「クラカウアーへの反論」の解説
クラカウアーへの反論の例を示す。トーマス・エルゼッサー(英語: Thomas Elsaesser)は著書"Weimar Cinema and After"の中で、クラカウアーの著書を、「歴史学の見地における、空想の」論であると酷評した。Elsaesserは、ヒトラーの政権掌握は本作品の発表後に起きたことであり、よってクラカウアーのカリガリ博士がヒトラーを体言しているという考えは矛盾している、と断言した。Elsaesserは、当時のドイツの社会通念と映画の関連性を分析するには、研究対象として取り上げた映画が少な過ぎるとしてクラカウアーを批判した。さらに、結末の変更によって、映画の革新性が失われたと主張するクラカウアーに対し、脚本の革新性を過小評価し過ぎているとも批判した。 なお、Elsaesserは、本作品をはじめとするドイツ表現主義映画(またはそうみなされるもの)の独自のスタイルの背景を、以下のように位置づけている。彼によれば、ドイツ表現主義の映画制作者たちは、増加の一途をたどっていたアメリカ映画の流入への対抗するために、ドイツ独自の映画として差異化する手段として、当時すでに勃興していた表現主義的な作風を積極的に導入した、とされる。この分析は、今日では主要なものとなっている。
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