クラカウの奪取、ドイツ第XXIV装甲軍団の脱出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 15:50 UTC 版)
「ヴィスワ=オーデル攻勢」の記事における「クラカウの奪取、ドイツ第XXIV装甲軍団の脱出」の解説
1月17日、コーネフは新たにブレスラウに向けて所属の機械化部隊を向かわせ、第60、第59軍にクラカウを抜けてオーバーシュレージエン(英語版)の工業中核地域へ南側面に対する攻撃を開始するため、武器を複合化させた部隊を用いることを命令された。クラカウは第59軍と第60軍による包囲の後の1月19日、たいした損害も無く占領、その後、第4親衛戦車軍とともにドイツ軍を攻撃、ドイツ軍は急激に撤退せざるをえなくなった。 「上シレジア攻勢」も参照 第1ウクライナ戦線の第2段階の目標は遥かに複雑であり、オーバーシュレージエンの産業地域全てを包囲して確保することを命令されていたが、そこでドイツ第17軍と遭遇した。第21軍が北からこの地域を包囲する間、コーネフは第59軍と第60軍に正面へ進むよう命令した。コーネフは第3親衛戦車軍にブレスラウへ向かって南下、オーデル川沿いに上流へ遊撃しながら向かうよう命令、ドイツ第17軍の撤退を阻止した 。 そうした中、撃破された第4装甲軍の残存兵はなおもドイツ国境への脱出を試みていた。1月18日までにネーリングと第XXIV装甲軍団は彼らが考えていた撤退路が北方で塞がれていることを知り、包囲から逃れた第LXII軍団の残存兵を吸収しながら西へ退却した。第LXII軍団の残りの多くがプシスハ(英語版)周辺で包囲され殲滅された。濃霧で覆われる中、第XXIV装甲軍団の先頭部隊は1月22日、ヴァルタ川に到着し、フォン・ザウケンの部隊と合流して、最終的にソビエト赤軍が攻撃を開始した時にいた地域から350Km後方へ撤退してオーデル川を渡河できるようになった。
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