カリヤ、セラニの「ダイナミック・デュオ」時代
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「アナハイム・ダックス」の記事における「カリヤ、セラニの「ダイナミック・デュオ」時代」の解説
1996年2月、シーズン途中でウイニペグ・ジェッツとの大型トレードでティーム・セラニを獲得。これによりカリヤ、セラニという当時のNHLを代表する強力な攻撃ライン「ダイナミック・デュオ」を持つようになった。また、カリヤはこのシーズンからアナハイムのキャプテンとしてもチームを引っ張っていく。 1996-1997シーズン、マイティ・ダックスは初のプレーオフ進出を果す。1997年プレーオフ1回戦でフェニックス・コヨーテズを4勝3敗で下すものの、準決勝でデトロイト・レッドウィングスの前に敗れ去った。 長野オリンピックを控えた1997-1998シーズンは日本でバンクーバー・カナックスを相手に開幕戦を行う(1997年10月、東京代々木第一体育館)。カリヤは契約のこじれから開幕戦から12月まで出場ができず、復帰後の翌年2月には試合中に激しいチェックを受け負傷、そのままシーズンを終えることとなる。アナハイムはそのあおりをくらい1998年のプレーオフ出場を逃す。 1998-1999シーズンは新しいヘッドコーチの下でウエスタン・カンファレンス6位に滑り込み1999年プレーオフ出場。しかし1回戦でデトロイト・レッドウィングスの前にまたしても敗れ去った。 1999-2000シーズンはプレーオフ圏内のサンノゼ・シャークスまで4Pと迫りながら上に行くことができずプレーオフ出場を逃す。 2000-2001年もシーズン途中にHCを解雇するなど低空飛行は変わらずウエスタン・カンファレンス最下位に沈み早々にシーズンが終わることとなる。このシーズン終了後、主力のひとりであるティーム・セラニがトレードでサンノゼ・シャークスにり移籍、アナハイムから離れることになりカリヤとのダイナミック・デュオは解散となった。
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