カエサルの同盟者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/21 06:17 UTC 版)
「コンミウス」の記事における「カエサルの同盟者として」の解説
詳細は「ローマによるブリタンニア侵攻 (紀元前55年-紀元前54年)」を参照 「ガリア戦記」によると、ガイウス・ユリウス・カエサル率いるローマ軍がサビス川の戦い(紀元前57年)でアトレバテス族を屈服させた時に、カエサルはコンミウスをアトレバテス族の新たな王に就けた。コンミウスがブリタンニアへ影響力を有するとカエサルは考えていたため、紀元前55年に行われたローマ軍による第一次ブリタンニア侵攻に先立って、ローマへ抵抗しないようにブリタンニア人を説得する使節としてコンミウスをブリタンニアへと送った。 しかし、コンミウスは到着するや否や捕縛された。ブリタンニア人はカエサル軍の上陸阻止に失敗した際に、コンミウスを交渉の材料としてローマ側へ引き渡した。ブリタンニア軍の攻撃に対峙するカエサルへの援軍として、コンミウスはアトレバテス族出身の騎兵隊を供与した。 カエサルによる2度目のブリタンニア侵攻では、コンミウスはブリタンニア軍の首領であったカッシウェラウヌスの降伏交渉を担当した。 コンミウスはカエサルによって重要な同盟者として遇され、紀元前54年にアンビオリクスらによるガリア人の抵抗を受けても、カエサルはアトレバテス族の独立維持を認め、税負担を免除した。また、コンミウスにモリニ族(en)を統治するよう指名した。 しかし、アウルス・ヒルティウスが記したガリア戦記の最終章によると、この同盟関係は続かなかった。紀元前53年の冬をカエサルはガリア・キサルピナで過ごしていたが、カエサルのレガトゥスであったガイウス・トレボニウスは、コンミウスが他のガリア部族と共にローマ人に対して、陰謀を企てると信じた。 トレボニウスは会見と装ってコンミウスを殺害するためにトリブヌスのガイウス・ウォルセヌス(en)を数人のケントゥリオと共に送り、ローマ軍に斬り付けられたコンミウスは頭部に重傷を負ったが辛くも逃れることが出来た。それ以来、コンミウスはローマ人とは再び協力関係を結ぶことを決して約束しなかった。
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