オスマン時代のラッカ再建
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 08:45 UTC 版)
16世紀に入り、オスマン帝国がユーフラテス川沿岸のラッカに税関を置いたことで、ラッカの名が再び歴史に登場する。ラッカを中心にした新たな州「ラッカ州」が創設されたが、実際の州都は200km北の現トルコ領ウルファに置かれた。17世紀のオスマンの旅行者・作家 Evliyâ Çelebi は、ラッカではアラブ人とトルクメン人の遊牧民が廃墟の近くで宿営をしているだけだと書いている。1683年、城塞が部分的に再建されイェニチェリ軍団の分遣隊が置かれた。続く10年でラッカは部族定住政策の中心となった。ラッカが再び都市となったのは1864年であり、最初は軍の前哨として、次はロシア帝国の北カフカス征服から逃れてきたムスリムのチェチェン人難民やベドウィンの元遊牧民の定住地として、住民が定着し始めた。
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