エニックス時代
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1983年、上京して電気通信大学短期大学部電子工学科に入学する。入選作『ドアドア』をパソコンの各機種に移植し、この印税収入で大学生にして1,000万円を超える年収を得ていた。その後、エニックスでの第2作となるパソコンゲーム『ニュートロン』をリリースし、大学2年の春休み中の1984年4月9日に友人らが株主となって、社員5人のチュンソフトを設立。調布市の賃貸マンションの1室で営業活動を開始した。チュンソフトの第1作は1985年のPC-6001版『ドアドアmkII』。続けて、エニックスのファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)参入に伴って、ファミコン版『ドアドア』でチュンソフトも家庭用ゲーム機のゲーム開発に参入した。パソコン版が8万本だったのに対して、ファミコン版は20万本のセールスを記録し、以後は家庭用ゲーム機に注力する。続けて、同じくエニックスのプログラムコンテストの入賞者であった堀井雄二の『ポートピア連続殺人事件』のファミコン版の移植作業を行う。 この時期に中村と堀井が『ウィザードリィ』『ウルティマ』といったコンピュータRPGに熱中したことから、ファミコンの本格的なRPG『ドラゴンクエスト』の開発を担当することになった。ドラゴンクエストシリーズは『ドラゴンクエストV』までの開発に携わるが、その後エニックス作品から離れる。
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