エクスコムとは? わかりやすく解説

エクスコム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 07:44 UTC 版)

国家安全保障会議執行委員会(こっかあんぜんほしょうかいぎしっこういいんかい、Executive Committee of the National Security Council)、略称エクスコム(ExComm)は、1962年10月に起こったキューバ危機に対処するためにジョン・F・ケネディ政権下で設置された機関。危機の13日間、絶え間なく会議を開き、危機の回避に努めた。また、その後も6週間ほど立て続けに会議を開いた。この会議の中でメンバーは、役職や地位に関わりなく自由闊達に意見交換を行い、慎重を要する対応の決定に大きな役割を果たした。メンバーの中にはNATOの支持を得るためド・ゴールの説得に当たったディーン・アチソンや駐米ソ連大使アナトリー・ドブルイニンとの会見をもったロバート・F・ケネディのように、危機回避のために外国要人と直接会見し、大きな役割を果たした者もいる。構成員はアメリカ国家安全保障会議 (NSC) の9人と追加の4人であり、他に十数人の顧問がいた。




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エクスコム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 18:11 UTC 版)

キューバ危機」の記事における「エクスコム」の解説

このエクスコムの会議には1415人が集まり主な顔ぶれジョンソン副大統領ラスク国務長官ボール国務次官マクナマラ国防長官、ギルパトリック国防次官、マコーンCIA長官ロバート・ケネディ司法長官ディロン財務長官スティーヴンソン国連大使テイラー統合参謀本部議長バンディ補佐官、オドンネル大統領特別補佐官、ソレンセン大統領顧問アチソン国務長官、ラヴェット元国防長官などであった。この席でケネディ直面する危険とこれに対処するあらゆる行動即時徹底的に調査するように命じた。そして徹底した機密保持命じた。この10月16日から13日間が歴史深く刻まれ核戦争寸前までいったキューバ危機の期間である。 大統領顧問であったソレンセン1965年書いた著書ケネディの道」の中で、この1619日までの96時間午前・午後夜間問わず会議連続であったという。その間新し空中写真分析進み近距離攻撃用ミサイル配置され地点が6カ所に上り中距離ミサイルIRBM)用の基地にするために掘られ個所が3カ所見つかった

※この「エクスコム」の解説は、「キューバ危機」の解説の一部です。
「エクスコム」を含む「キューバ危機」の記事については、「キューバ危機」の概要を参照ください。

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