まざあ・ぐうす
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:25 UTC 版)
初期の訳業で最も重要な人物は北原白秋で、大正時代に『まざあ・ぐうす』を出版している。白秋による訳は、まず児童雑誌『赤い鳥』の1920年(大正9年)1月号(同年1月刊行)に「柱時計」(原題:Hickory Dickory Dock、日本語別名:ヒッコリー・ディッコリー・ドック)と「緑のお家」(読み:みどりのおうち、原題:There Was a Little Green House)が掲載され、続けて同誌にマザーグースの様々な童謡が発表されていった。そして、明くる1921年(大正10年)の末(白秋36歳時)に纏められ、日本初のマザーグース訳詩集『まざあ・ぐうす』としてアルス社から刊行された。挿絵は恩地孝四郎が担当。この訳詩集では132篇を収録しており、『赤い鳥』に掲載されたものより滑らかな口語に直されている。上述の「柱時計」と「緑のお家」はそれぞれ「一時」と「くるみ」に改題したうえで掲載されている。 その後は英文学者で詩人の竹友藻風による『英国童謡集』が1929年(昭和4年)に出ている。これは学習者向けの対訳詩集で、87篇の訳を原詩とともに収めたものであるが、とりたてて反響はなかったものと見られる。
※この「まざあ・ぐうす」の解説は、「マザー・グース」の解説の一部です。
「まざあ・ぐうす」を含む「マザー・グース」の記事については、「マザー・グース」の概要を参照ください。
- まざあ・ぐうすのページへのリンク