てんかん患者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 17:57 UTC 版)
本人は入門当初から既にてんかん患者であることを公表していた。2022年5月場所後の日刊スポーツのインタビューによると以下の通りである。 最初に発作が起こったのは小学2年生の時で、その時に頭部に衝撃を受ける相撲を続けるべきか決断を迫られたと説明しており、小学校当時の相撲部監督が頭から当たらないという条件付きで梶原少年に相撲を続けさせるように梶原の母を説得していた。てんかんの判明を切っ掛けに、頭部への負担を考えて胸から当たる立合いをするようになり、大相撲時代の取り口の起源となった。溺死の危険性があるため体育のプールの授業は母親の立ち合いが無いと学校から許可が下りず、授業中も他の子と見分けがつくように1人だけ白ではなく赤い水泳帽をかぶった。1人で入浴する時は母親が適宜安否確認を行った。入門までの間、発作が起きたのは小2、小3、中2の時の計3回。定期的な検査とともに、薬の服用も続けた。 時津風部屋に入門する際には、父に持病のことを隠してはいけないと言い聞かせられたこともあって、師匠はもちろん、部屋の兄弟子たちにもすべて説明した。2022年5月時点では、入門後の21歳の時に1回だけ発作を起こして以来約18年間起こしていない。酒はてんかんへの悪影響があるため飲まない。2020年3月場所限りで引退したが、万が一のことを考えて、車の普通免許は2022年5月時点でも取得していない。 本人は「てんかんだからといって、就職や結婚に影響するケースもあると聞きます。自分は比較的軽度なんですが、(てんかん患者の)親御さんから、大相撲で活躍したことが希望だといってもらえるとありがたいですよね」と言っている。日本てんかん協会ともつながりができ、いくつかの病院では引退相撲のポスターを貼って相互理解に努める動きが生まれた。 元豊ノ島にとって断髪式は鬢付け油の付いた髷を切って再び脳波の検査を受けるのに支障が出ないようにするための意味もある。
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