つくる会での活動と追放
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父は天皇嫌い、妹はクリスチャンで反戦主義者という家庭環境だったが、新しい歴史教科書をつくる会で活動。過激な言動がときに波紋を呼んだ。 2000年から2006年まで東京支部長を務めた。藤岡信勝を支持する立場を打ち出し、2002年2月7日に開かれたつくる会のシンポジウムで、会場整理係を務めていたにもかかわらず、藤岡と対立する小林よしのりに野次を飛ばした(このときの模様は小林の漫画『ゴーマニズム宣言』や小林が責任編集長の季刊誌「わしズム」に記述されている)。 2006年に表面化した同会の内紛でも藤岡信勝派の急先鋒となった。扶桑社に絶縁され少数派になった藤岡信勝派が新たな発行元に選んだ自由社の取締役教科書編集室長に就任し、教科書編集を一手に引き受けた。 しかし、業務遂行をめぐって藤岡および藤岡側近の石井竜生(作家、自由社社員)から批判され、検定合格直後の2009年4月15日に教科書編集室長を突如、解任・追放された。これ以降、自由社の教科書編集の実権は藤岡・石井の二人が完全に握ることとなる。このため松本は反藤岡に転じ、藤岡を「スターリン、毛沢東、金日成と変わるところはない個人崇拝誘導、独占支配体制の確立」、その藤岡を傍で常に煽る側近の石井を「階級差別主義者」として、藤岡・石井の二人の謀略を激しく非難するメールを関係者に送った。松本によればこの間の藤岡・石井の二人のあまりに悪辣な振る舞いを目の当たりにしたせいで、松本の夫人は体調を崩し、通院を余儀なくされたという。
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