くにみいわ
国見岩[意]1794年?~1846年12月21歿。江戸時代の力士。本名は衞藤文五郎(えとう・ぶんごろう)。旧清川村宇田枝の農業、衞藤養助の二男として生まれる。幼少時代より人並み外れた体格を誇り、長じて身長180cm、体重150kgに。岡藩お抱え力士の中でも随一といわれた。城下町の竹田で45kg入りの米俵2俵を両脚に結びつけ、更に2俵を両手に提げて軽々と街中を歩き回って見せ、「文五郎の力見せ」と有名になったという。大阪・天王寺で行われた全日本相撲大会で行われた力持ち競技でのこと。570kgの砂袋を12cm角の材木に結び付けて天王寺の階段を登るのを競った。国見岩ともう1人の力士が登りきったが、余力のあった国見岩が「ああ重かった」と言ったのに対して、もう1人の力士がへとへとでありながら「ああ軽かった」と言ったがために国見岩が日本一の力士になれなかった。木浦字生木(旧宇目町)で原因不明の最期を遂げた。死亡現場にあったのは頭蓋骨と胴籃、脇差だけだったという。豊後大野市清川町宇田枝天神久保に「国見岩」の文字が刻まれた巨大な石碑がある。
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