かつて運営していた病院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 14:50 UTC 版)
「公立豊岡病院組合」の記事における「かつて運営していた病院」の解説
梁瀬医療センター 朝来市山東町矢名瀬にあった病院。正式名称は『公立豊岡病院組合立朝来梁瀬医療センター』である。1962年(昭和37年)に梁瀬分院として開設され、梁瀬病院となった後、2007年(平成19年)より現病院名となった。 公立豊岡病院組合の各病院は概ね赤字経営が続いているが、当病院は黒字が続いていた。また、地域の医師会との連携などで、山東地区の住民の医療費は周辺地域と比較して低くなっていた。常勤医は自治医科大学出身の医師で占められており、へき地にもかかわらず養成医師の派遣先として人気は高く、義務年限を超えても当病院に留まる医師も多かったといい、小規模病院の成功例とされる。 出石病院同様に病院縮小の方針が打ち出され、山東地区の住民の99.5%からの反対署名が集められたにもかかわらず、常勤医が5名から3名に減らされた。2007年9月より、時間外救急患者の受け入れを中止し、入院診療および外来診療も制限されるようになり、さらに同病院に常勤として残る予定であった内科医が体力的な不安から退職し、常勤医がわずか2名となり、常勤の内科医はいなくなったことから、「病院機能は著しく低下した」との指摘がある。また、前述のように当病院は黒字経営を続けてきたが、入院・外来の制限の影響で、1億円(平成19年度補正予算)の赤字に転落する見込みとなったことから、病院再編に疑問の声が上がっている。 診療科内科、整形外科、外科、放射線科 和田山医療センター 朝来市和田山町竹田にあった総合病院。正式名称は『公立豊岡病院組合立朝来和田山医療センター』である。1967年(昭和42年)に北兵庫整形外科センターとして開設され、北兵庫内科整形外科センターを経て、総合病院としての和田山病院となった後、2007年(平成19年)より現病院名となった。 北兵庫整形外科センターとして発足したことが示すように整形外科を特徴とする病院である。医療再編により梁瀬医療センターの救急患者受け入れが事実上休止したことから、急患の受け入れが前年比1.7倍と激増し、問題となっている。また、当病院は整形外科を中核にすえた医療体勢となっているため、消化器の手術などには対応することができずに、搬送を断るケースも多くなっている。 診療科内科、外科、消化器科、整形外科、リウマチ科、眼科、脳神経外科、泌尿器科循環器科、リハビリテーション科、放射線科、皮膚科 浜坂病院 1957年(昭和32年)、美方郡浜坂町に浜坂分院として開設され、後に浜坂病院に改称した。美方郡浜坂町、同郡温泉町の豊岡病院組合からの脱退により、1973年(昭和48年)3月に一時廃院となった。同年5月に浜坂町立の公立浜坂病院として再開をはたし、現在は市町村合併により新温泉町立となっている。 和田山病院 1961年(昭和36年)、朝来郡和田山町に和田山分院として開設され、後に和田山病院に改称した。北兵庫整形外科センター(後の和田山病院→和田山医療センター)の開設に伴い、1967年(昭和42年)に廃止された。
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