梶井宮尭胤法親王
読み方:かじいのみや
室町中・後期の親王。梶井門跡。伏見宮貞常親王第二王子。後花園天皇の猶子。号は盧山、俗名は高平。二品に叙せられ、第161代天台座主に任じられる。和歌を能くし、歌集『魚山百首』があり、文もまた巧みで、『魚山の御法』は世に知られている。永正16年(1519)薨去、63才。
室町中・後期の親王。梶井門跡。伏見宮貞常親王第二王子。後花園天皇の猶子。号は盧山、俗名は高平。二品に叙せられ、第161代天台座主に任じられる。和歌を能くし、歌集『魚山百首』があり、文もまた巧みで、『魚山の御法』は世に知られている。永正16年(1519)薨去、63才。
梶井宮彦胤法親王
読み方:かじいのみや
室町後期の親王。梶井門跡。後柏原天皇第六皇子。名は寛恒。蹴鞠・和漢・連歌に秀で、北野千句和漢御会や石清水八幡宮千句御連歌会、その他の連歌会に出席し、多くの作品が伝えられている。また仏道においては密法中興の宮と称された。天文9年(1540)薨去、32才。
室町後期の親王。梶井門跡。後柏原天皇第六皇子。名は寛恒。蹴鞠・和漢・連歌に秀で、北野千句和漢御会や石清水八幡宮千句御連歌会、その他の連歌会に出席し、多くの作品が伝えられている。また仏道においては密法中興の宮と称された。天文9年(1540)薨去、32才。
梶井宮応胤法親王
読み方:かじいのみや
室町後期の親王。梶井門跡。伏見宮貞敦親王の第5子、後奈良天皇の猶子、梶井宮彦胤法親王の嗣子。初名は貞斉、のち還俗して尊悟。法名は後龍禅院、号は瑞庵・宗悟・藤之・昭庵・蜻庵。法号は後龍禅院。二品に叙され第百六十五代天台座主となる。のち還俗。和歌・詩・書を能くし、八条宮智仁親王に教授した。慶長3年(1598)薨去、68才。
室町後期の親王。梶井門跡。伏見宮貞敦親王の第5子、後奈良天皇の猶子、梶井宮彦胤法親王の嗣子。初名は貞斉、のち還俗して尊悟。法名は後龍禅院、号は瑞庵・宗悟・藤之・昭庵・蜻庵。法号は後龍禅院。二品に叙され第百六十五代天台座主となる。のち還俗。和歌・詩・書を能くし、八条宮智仁親王に教授した。慶長3年(1598)薨去、68才。
梶井宮慈胤法親王
梶井宮盛胤法親王
- かじいのみやのページへのリンク