『藩翰譜』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 23:48 UTC 版)
「#『通航一覧』に引く『寛明日記』」も参照 新井白石が著した歴史書『藩翰譜』(元禄15年(1702年))にも、『通航一覧』に引く『寛明日記』(以下、『寛明日記』と略記)と同様、長崎奉行竹中重義の不正事件と村正の関係が言及される。 白石の伝える話では、まず重義の財産を籍没(没収)したところ、忌まれる刀の村正(本数不明)を秘蔵していたことが発覚する。そして、「故あって現在は忌まれて廃れている村正の刀が、徳川の世ではなくなれば高く売れるであろうと考えたために村正を多数保持していたのだ」とされ、村正所持とその所持理由が言語道断であるとして、その場で誅戮される(死刑になる)。 『寛明日記』では記事のコメントとして、思うに…という訳で村正を多数保持していたのだろう、という話だったのに、『藩翰譜』ではいつの間にかそれが事件の中の言葉になっている。また、『寛明日記』では切腹刑を宣告されてから村正の所持が発覚したのに、『藩翰譜』では村正を悪辣な理由で所持していたことが誅戮の理由になっており、伝説の度合いが増している。ただし、白石の伝説でも、村正を不敬な理由で集めていたから誅戮させられたのであって、村正の所持自体は禁じられていない。また、幕府の法にも通じていた白石自身は、自分で書いていて流石に変な話だと思ったのか、「誠なりしにや」(本当だろうか)と評している。
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