『みすゞかる信濃』の「黒姫伝説」とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 『みすゞかる信濃』の「黒姫伝説」の意味・解説 

『みすゞかる信濃』の「黒姫伝説」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/14 15:33 UTC 版)

黒姫伝説」の記事における「『みすゞかる信濃』の「黒姫伝説」」の解説

1941年昭和16年発行の『みすゞかる信濃』に黒姫伝説に関する記述があるので紹介する物語大筋『下高井郡誌』・『信濃の伝説』の「黒姫物語」とほぼ同様であるが、黒姫父親を政盛ではなく盛頼としていたり、洪水黒姫流されている(直接的な描写はないが、「押し流され黒姫の事を悲んで居つた」という記述見られる)など、いくつかの相違点がある。 高井郡日野城高梨政盛には嗣子がなく、2番目の弟である盛頼が後を継いだ。盛頼の長子政頼、その妹が黒姫である。黒姫引く手あまた美人で、高梨氏親戚である長尾為景上杉謙信父親)の勧め足利義尚室町幕府第9代将軍)の侍女になる予定であった永正3年1506年)の春、黒姫寝室近付一人美少年現れる報告受けた盛頼は、その少年捕らえるよう家臣らに命じるも逃げられてしまう。盛頼は自ら馬に乗って後を追い名剣少年片腕切り落とした。すると空は嵐となり、30か所余りの池が決壊し日野城流されてしまった。噂では、岩倉池・硯川の黒龍黒姫慕って通ったものの、名剣によって本来の力を発揮できず、そればかりか傷を負わされてしまったことで竜王怒り触れ岩倉池を追われうっぷん晴らそうとしている、ということである。 真山城に撤退した盛頼は、風雨収まったところで人々救出策を講じた領内での酒造り禁じて米穀確保するとともに佐久からも食糧調達した政頼祖先の盛光が信仰したという湯殿山神社参拝し夢のお告げにより黒龍居場所つきとめる一方、盛頼の夢の中には流されたはずの黒姫現れ名剣欲した黒姫は盛頼から名剣授かると、山の中の池に潜む黒龍退治しそのとき流れた血が赤川となった。その山は黒姫山呼ばれるようになり、美女水の上で歌を詠む姿や、雨乞い応えて降らせるといったことも伝わる。 黒龍住処とされる岩倉池・硯川」について、現在の国土地理院地図参照して志賀高原周辺には「岩倉池」を確認することはできないが、「硯川」という川名については熊の湯温泉付近に確認することができる。

※この「『みすゞかる信濃』の「黒姫伝説」」の解説は、「黒姫伝説」の解説の一部です。
「『みすゞかる信濃』の「黒姫伝説」」を含む「黒姫伝説」の記事については、「黒姫伝説」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「『みすゞかる信濃』の「黒姫伝説」」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「『みすゞかる信濃』の「黒姫伝説」」の関連用語

1
12% |||||

『みすゞかる信濃』の「黒姫伝説」のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



『みすゞかる信濃』の「黒姫伝説」のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの黒姫伝説 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS