『きかんしゃトーマス』の立ち上げから離脱まで
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「ブリット・オールクロフト」の記事における「『きかんしゃトーマス』の立ち上げから離脱まで」の解説
1979年に蒸気機関車に関する5分のドキュメンタリー番組の制作中、ブルーベル鉄道にて『汽車のえほん』の作者ウィルバート・オードリー牧師と知り合い、自身が幼い事に慣れ親しんだ『汽車のえほん』の映像化を思い立った。貯蓄から製作資金を集める等経済的な負担を負いながらスタッフを集めるなど準備を進め、当時の夫アンガス・ライトと共に番組制作会社「ブリット・オールクロフト社」を設立し、1984年から『きかんしゃトーマス』というタイトルで放送を開始した。番組は成功を収め英国アカデミー賞にノミネートされるなど高い評価を受ける。その後1980年代後半にアメリカに進出し、公共放送サービス向けに製作した幼児向け番組『シャイニング・タイム・ステーション』はジェミニ賞を始めとする数々の賞を受ける。1990年代に入るとオリジナル作品として、小象のマンフィーを主人公としたセルアニメ作品『マンフィーのふしぎなぼうけん』を1994年からアメリカFOXテレビ(Fox Kids)にて放映を開始した。 『きかんしゃトーマス』シリーズでは1990年代以降、監督のデヴィッド・ミットンとの共作でオリジナルエピソードの執筆も手掛けたが、自身が監督・脚本・制作を手掛けた2000年公開の劇場用長編映画『きかんしゃトーマス 魔法の線路』が興行的失敗という結果に終わり、ブリット・オールクロフト社をガレイン社に改称した後社長を辞任した。2002年にガレイン社はヒット・エンターテインメントに買収され、同年放送の『きかんしゃトーマス』第6シリーズまでクリエイティブコンサルタントとしてヒット社に残留するが、2003年に退社した。制作から離れた『きかんしゃトーマス』ではあるが、第7シリーズ以降もオープニングにはテレビシリーズ原案としてブリット・オールクロフトの名前がクレジットされ続けている。
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