「西側」への脱走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 09:27 UTC 版)
ドイツ再統一によるドイツ民主共和国崩壊までの間、人民海軍の将兵が海路で「西側」に逃れようとした事例がいくつか知られている。 1961年8月24日、トラフェミュンデ・ヴィスマール沖を航行していた第6国境沿岸旅団所属の国境警備艇423号(G423)が脱出を図り、12人の水兵が西側へ逃れた。 1963年12月、航行中のクラーケ級掃海艇(ドイツ語版)から乗組員の上級軍曹(Obermaat)が海へ飛び込んで脱出を図り、スウェーデンの商船によって救出された。 1967年1月12日、対潜駆逐艦474号(U-Jagdboots 474)からの脱出が試みられるも当局によって阻止される。 1967年1月27日、艦を乗っ取り脱出を図る計画を立てたとして対潜駆逐艦412号テーテロウ(U-Jagdboots 412 Teterow)の乗組員8人がペーネミュンデにて逮捕された。 1968年1月、第6艦隊根拠地のブーク(ドイツ語版)軍港にて高速戦闘艇844号ヴィルヘルム・ベンシュ(TS-Boots 844 Wilhelm Bänsch)を乗っ取り脱出する計画を立てた容疑で乗組員7人が逮捕され、2人が有罪判決を受けた。 1973年8月7日、対潜駆逐艦421号シュパーバー(U-Jagdschiffes 421 „Sperber“)からの脱出が試みられるも当局によって阻止される。 1979年8月5日、国境警備艇424号グラール=ミューリッツ(G-424 Graal-Müritz)所属の上級軍曹がその他の乗組員を軟禁し、西側へ逃れるべく艇を乗っ取った。乗組員達は手榴弾などを以って抵抗し、脱出は阻止された。上級軍曹は一命を取り留め逃走したものの、1989年末に逮捕された。 1988年3月4日、2人の水兵(Matrosen)がスウェーデンのフェリーに乗り込み脱出を図るが、後にドイツ民主共和国へ送還された。
※この「「西側」への脱走」の解説は、「人民海軍」の解説の一部です。
「「西側」への脱走」を含む「人民海軍」の記事については、「人民海軍」の概要を参照ください。
- 「西側」への脱走のページへのリンク