「政治司祭」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 10:27 UTC 版)
1945年、アメリカによる軍政が始まると、盧基南は米軍に接近して韓国民主党のような親米、反共主義路線を敷いた。盧基南は張勉を政界へ出るように勧めた。また、李承晩を支持して単独政府樹立を支持し、第1共和国時期には政治関与をおこなった。当時のカトリックでは、盧基南が責任者を務める京郷新聞が断定世論を導いていた。 一方、1948年頃に日本統治期の対日協力者に対する救済で非難を浴びた事がある。朝鮮総督府高位官僚を務めた厳昌燮が反民族行為処罰法制定で逮捕された時、釈放運動をして彼が出獄した後に、洗礼を受けるようにした。メソジスト教会牧師で有名な「親日派」牧師である鄭春洙は教団内部の批判で立場を失うようになると盧基南を訪ね、カトリックに改宗したりした。 1981年の釜山アメリカ文化院放火事件に際して、容疑者を匿った疑いで原州教区の司祭が拘束されたが、盧基南はこの事件を北朝鮮の主張に同調した共産主義者、凶悪犯の所作であると非難するなどした。こうした行動から、「政治司祭」という評価もある。
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