「弟子」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 07:07 UTC 版)
朝比奈自身、1970年(昭和45年)に発表した文章の中で「私は、いわゆる世間で言う弟子とか門下生とかいうものを、少なくとも今の職業である指揮者としては持ったことがない」と述べている が、朝比奈の影響下にある指揮者として林元植(朝鮮語版)(韓国人指揮者、1919年 - 2002年8月26日)がおり、朝比奈自身も1973年(昭和48年)の『私の履歴書』の中では林を「私の弟子で、私が退いたあとしばらく指揮棒を振っていた韓国人の林元植君」と呼んでいる。彼は朝比奈のハルピン時代、朝比奈の人柄に感服し影響を受け、朝比奈が満州を脱出する際いろいろ便宜を図った。朝比奈の「お別れの会」にも参加、献奏したが、ほどなく後を追う様に死去した。朝比奈ともどもサッカーの大ファンであり、2002年(平成14年)のワールドカップ日韓大会にちなんだ、2人が出演する演奏会も企画されていたが、朝比奈の死で幻となった。 他に外山雄三が「私は朝比奈先生の弟子だと思っている」と発言したことがあり、これに対し朝比奈は「先輩の顔を立ててくれたものと考えている」と新聞紙上に書いている。また朝比奈の晩年にあたる1997年(平成9年)から1999年(平成11年)まで下野竜也が大阪フィルの指揮研究員になり、朝比奈の指揮ぶりに接している。また、大阪市音楽団名誉指揮者の木村吉宏も、朝比奈の指導を受けている。 50年以上にわたって朝比奈の薫陶を受けた大阪フィルは、現在でも独特の「大フィルサウンド」を身上としている。
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