「帝国」説に対する考古学的な検証
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/15 09:17 UTC 版)
「トルテカ帝国」の記事における「「帝国」説に対する考古学的な検証」の解説
トルテカ帝国が実在した根拠として、「トゥーラ」の北方450kmに位置するサカテカス州のラ・ケマーダ (La Quemada) が、米国南西部で得られるトルコ石の交易路を守るためのトルテカ帝国の要塞と想定されていたが、近年のベン・ネルソンの調査によって、古典期後期にあたる650年〜750年の遺跡であることが判明し、「トゥーラ」の全盛期である、トゥラン (Tollan) 期の950年頃〜1150年頃と大幅にずれることが明らかになった。また、鉛釉土器の装飾にトラロック神など「トゥーラ」の宗教シンボルとの類似が見られることから、グアテマラ太平洋岸が「トゥーラ」によって征服され、これらの土器がもたらされたという説もあったが、単に生産地のソコヌスコ地方の土器製作者が自発的に市場の好みに合わせて生産したものがメソアメリカ各地に流通しているという考え方が現在では自然に受け入れられている。
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