トルテカ帝国とは? わかりやすく解説

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トルテカ帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/21 22:17 UTC 版)

トルテカ帝国(トルテカていこく)は、メソアメリカメキシコ)に、テオティワカン崩壊後、チチメカ侵入前までに存在したと考えられてきた伝承上の帝国。トルテカ帝国の存立したとされる時期は、年代で言えば7世紀頃〜12世紀頃に当たるが、12世紀とされるチチメカ侵入を11世紀に置く研究者もいる。テスカトリポカトピルツィン英語版ケツァルコアトルの伝説などで知られるこの帝国は、メキシコ中央高原を支配したとされた。


  1. ^ 当時は冷戦の影響でアメリカの研究者はトンプソンをはじめとしてその成果を認めた研究者はいなかった。コウとプロスクリアコフだけがその成果が画期的であったことを認めていたという。cf.マイケル・コウ/増田監修・武井・徳江(訳)『マヤ文字解読』,創元社,2003年
  2. ^ テームズ・アンド・ハドソン社の「古代の民族と土地(Ancient People and Places)」シリーズのうちの1冊。邦訳は、寺田和夫・小泉潤二による1975年の学生社刊。以下「コウ1975」とする。
  3. ^ タウンゼント2004,p.61
  4. ^ この時期については、コウは、紀元980年頃とし(コウ1975,p.163)、タウンゼントは、9世紀後半とする(タウンゼント,loc.cit)、大井邦明は、紀元900年ごろ(大井1985,p.191)とする。
  5. ^ タウンゼントは、「シャーマン的な魔術師またはトリックスター」とする(タウンゼント2004,p.65)。
  6. ^ 他の文献と照合すると文脈上セ・アカトル・トピルツインのこととみなすことができる。あくまでも伝承であってすべて事実を反映するものではない意味で実在の人物にあてはめるのに疑問を覚えること、テスカトリポカ勢力との伝承的記述のバランスと、松村1928,社会思想社1984に準じてカッコ付きの「ケツァルコアトル」とする。
  7. ^ 松村は、「アステカの神」(松村1928,社会思想社1984,p.37-39)とする。
  8. ^ または、老人の姿になって、衰弱する薬を飲ませた(コウ1975,p.164)、「小柄な老人に変身して、」「飲み薬を差し出した」(タウンゼント2004,pp.65-66)ものが実はプルケ酒であった。
  9. ^ または、禁欲のおきてをおかした(コウ1975,loc.cit.)とする。その内容として姉妹のケツァルペトラトルとプルケ酒を飲んで、近親相姦をしてしまった、とされる。他方、妃のケツァルペトラトルを放って、「淫らな女たちを愛するようになった。」(松村1928,社会思想社1984,p.37)とする。
  10. ^ コウ,loc.cit.寺田・小泉訳の訳語には「腰布」とあるが、絵文書から考えても一種の「ふんどし」を指すと考えて差し支えない。
  11. ^ トウガラシの一種。メキシコ料理によく使用される。
  12. ^ コウ,loc.cit.
  13. ^ または、「追放され、財宝を焼きつくし、埋めつくした」(コウ1975,loc.cit.)とする。
  14. ^ 松村は「アステカ族の魔術師」(松村1928,社会思想社1984,p.38-39)、コウは、「彼を欺こうとする魔法使い」(コウ1975,p.165)とする。
  15. ^ これについては、松村は「タバスコ」(松村1928,社会思想社1984,p.39)と明記する。松村が用いているのはルイス・スペンス(Spence,L Myths of Mexico and Peru /Spence,L Mythologies of Mexico and Peru)の著作であるからその記述によるのかもしれない。「ケツァルコアトル」は都を去った後、イシュタクシワトル山とポポカテペトル山の間にある「嵐の小径」に来たとき、忠実な従者や小姓たちを雪が降りしきる寒さのなかで喪ってしまう。そののちメキシコ湾岸まで旅をして、ケツァル鳥の羽で飾った衣装を着て、トルコ石の仮面をつけて自ら火の中に入り、または薪をくべて自らの身体を焼かせ(松村1928,社会思想社1984,pp.42-44)、と炎の中から天へ昇って明けの明星(金星)になった、とされる。「灰が天に昇る」(コウ1975,p.165)、心臓が天に昇る(松村1928,社会思想社1984,p.44)という話とがある。
  16. ^ コウ1975,p.165,コウ2003,pp221-227など。コウは、トピルツイン・ケツァルコアトル=ククルカンと断定している。
  17. ^ 日本の暦の干支の一巡が60年(還暦)で甲子(きのえね)にもどるのが、52年で一巡すると考えれば理解しやすい。cf.カレンダー・ラウンド
  18. ^ 大井2003,p.34
  19. ^ 大井1985,p.191
  20. ^ Eric Rosenfield (2002年12月18日). “Huemac: The Legendary Fall of Tollan”. 2023年1月21日閲覧。
  21. ^  Lewis Spence, “Chapter I” (英語), The Myths of Mexico and Peru, ウィキソースより閲覧。  [スキャンデータ]
  22. ^ 大井は、アクシトルはテオテナンゴの王とし、チチメカと戦い、1047年に敗れてテオテナンゴは破壊された、とする(大井2003,p.32)。なお、伝承によるとテオテナンゴにトルテカ王国が709年に建てられたとする(大井2003,p.31)。
  23. ^ コウ1975,p.166
  24. ^ 大井はトルテカとはテオティワカンを倒したケツァルコアトル信仰をもっている集団でオトミ系とするが(大井1985,pp.191-201)、例として、コウは、チチメカとの親縁関係を指摘する記述を行っており(コウ2003,p.221)、タウンゼントも非常に肯定的に扱っている(タウンゼント2004,pp.61-69)ことがあげられる。
  25. ^ コウ1975,p.165
  26. ^ タウンゼント2004,p.68


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