「売春婦」としての都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 07:05 UTC 版)
「オクシデンタリズム」の記事における「「売春婦」としての都市」の解説
大都会はしばしば売春婦になぞらえられる。そのイメージには、モハメド・アッタのような潔癖者が恐れ嫌悪する、女性のセクシュアリティ以上のものがある。売春婦の比喩は、商売によって成り立つ都市社会を表している。都市はそれ自体が巨大な市場であり、すべて物も人間も商品にする。都市に並ぶ売春宿・ホテル・デパート等は、より良い生活の幻想を売り、金さえあれば出生に関係なく好きに振る舞うことを可能にする。 へつらい・幻想・不道徳・現金等によって商品化された人間関係を象徴するのが「売春婦」とされた。オクシデンタリストが喧伝する「罪深い人間の都市」のイメージには、「売春婦」がつきものである。売買春ビジネスの決まり文句の一つに「女の体を買うことはできても魂を買うことはできない」というものがあり、これは(娼婦や娼夫が)プロの仕事をする際、感情をシャットアウトし魂を失う ―― 人間でなくなる ―― という考え方に繋がっている。産業革命の黎明期1860年代に名を馳せたパリの高級娼婦パイヴァについて、フランスの作家ゴンクール兄弟は日記にこう記している。 彼女は椅子の間を縫って、まるでぜんまい仕掛けの人形のように歩いて来た。身振りもなく、無表情で。 … 死の舞踏を踊る操り人形 … 吸血鬼だ。紫の口許は人間の生き血で赤くなっているが、表情は土気色。釉薬が塗られて、それが溶けかけているかのように見える。 オクシデンタリズムから見れば、都市・資本主義・西洋機械文明のイメージはこのように、貪欲なぜんまい仕掛けの人形のような娼婦ということになる。
※この「「売春婦」としての都市」の解説は、「オクシデンタリズム」の解説の一部です。
「「売春婦」としての都市」を含む「オクシデンタリズム」の記事については、「オクシデンタリズム」の概要を参照ください。
- 「売春婦」としての都市のページへのリンク